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「5.39方針(少し)転換」

 残念ながら強風により今日の釣りは中止でした。…ふっふっふ、しかし家内に呆れられながら明日1月1日にもう一度トライする計画を立てました。明日こそは行けますように!
 さて国語教育に関する話題の3回目です。この中で高校課程の中に入ったり出たりしている複素平面等の分野をどのように扱うのかということについて、稲荷塾の考え方を書いています。
「5.39方針(少し)転換」
高校までの勉強は本当の勉強ではないという思いが私のどこかにあった。答えがあると分かっている前提で答えを探しても、それは先人の足跡を追いかけているだけだと。だから受験勉強などというものは、効率よく、すばやく済ませてしまおうじゃないかというような、どちらかと言うと、それを軽視する傾向にあったと思う。ところが、同時に楽しい授業を目指しているとすれば、これは明らかな矛盾だ。そもそもどこまでが先達の業績を吸収する作業で、どこからが創造的研究であるかというような境界線が明確にあるわけじゃないし、偉大な開拓者達の苦労の跡を辿ること自体が驚きと感動の連続であり、すでにそれは立派な学問であると言うことができるのではないだろうか。結局、学びが意味をもつかもたないかは、学ぶ内容によるというよりは、学び方によるところが大きいのではないかと気付かされた。つまり、試験のために覚えるだけというのでは無味乾燥なものとなってしまう一方、学びを楽しくする方法はいくらでもあると思ったのだ。このことに気付かせてくれたのが、橋本先生の「遊ぶように学べ」というアドバイスだった。これで3回連続で橋本武さんに関連する話題になったが、それほどに影響を受けたということだ。
 それから塾の方針も少し転換しようと思う。稲荷塾では、これまでも遠慮がちにではあるが、高校数学の範囲外のことも学ぶようにして来た。それは入試で問われる内容の背景を理解し、的確に対応するためだった。しかしこれからは、高校数学課程の範囲外ののことについては入試で問われるかどうかではなく、学んで楽しいかどうか基準に学ぶかどうかを判断することにする。もちろん教育課程から大きく逸脱したり、数学オリンピックの問題を楽しみましょうなどと言っているわけではなく、あくまでも「高校数学を深く理解すること」が目標だということについては何も変わってはいない。それでは今回もまず、「一生役立つ学ぶ力」(日本実業出版社)から関連する部分を引用してみよう。

きっちり労力をかけて学んだことは、どこかで必ず役に立ちます。必要以上に勉強したことがゆとりにつながる。これが本当の「ゆとり教育」なのです。戦後の「ゆとり教育」というものは、私に言わせれば「怠け教育」以外の何ものでもありません。「ゆとり」という名のもとに、教師も学校も怠け続けただけではないでしょうか。だからどんどん学力が落ちていって今になって慌てているわけです。しかし、本当のゆとり教育というものは「詰め込み」が重要になってくると思います。もちろん受験勉強のための詰め込み教育は問題外です。ここでいう詰め込みとは、いわば「教養の詰め込み」のこと。この上積みこそが受験などという近視眼的な目標ではなく、人生の方々で待ち受ける難問にぶち当たったとき必ず役に立つわけです。

 昔、Z会京大マスターコースで教えていたとき、15人の京大クラス生のうち11人が京大に受かったことがあった。そのうちの1人は医学部に合格しており、優秀なクラスだった。しかし一番優秀だったのは、高2の灘の子だった。1人だけ受験学年ではない子が混じっていたわけだが、その子がしばしば医学部に受かった子よりいい成績をとった。それだけでも十分驚くべきことだが、私が一番驚いたのは彼がよくできたということではなかった。 … ちょうどこのとき教育課程の変更期にあたり、高3以上は1次変換を学び、高2以下は学ばないことになっていた。次回から1次変換の話に入るというとき、私は彼に聞いた。
「1次変換は君の受験には要らないけど、どうする?」
「来ますよ」
当然、1次変換のための数回分は休むのだろうと思っていただけに、彼の返答にはぎょっとさせられた。次の年は東大クラスに来て、結局理Ⅰに入ったが、彼にとって勉強は勉強であり、受験勉強ではなかったのだ。 … これが私には驚きだった。そういえば灘の子は文系でも数Ⅲを学ぶらしく、受験に必要だから学び、受験に必要でないから学ばないというようにはしていない。これが橋本さんたちが築いて来た灘の伝統であり、その結果受験にも圧倒的な強さを発揮したということなのだ。
 実は、今回の教育課程の変更で「複素数平面」と「条件付確率」が復活するが、以前これが教科書から消えたときに、どうしてこんなにおもしろい分野を削るのかと強く抗議したい気持ちになったのを覚えている。「空間座標」が消えたときも同じ気分だった。さらにこういった変更があると、塾のテキストを作り直さなければならないことも煩わしく、それも腹立たしいことこの上ない。だが、ひとり怒っていても仕方がないと思い、これまでのところはしぶしぶ教育課程に合わせてやって来た。
 しかし、もうこんな無意味な改訂に付き合うのはやめにする。試験に出るとか出ないということを基準にするのではなく、「おもしろいから学ぶ」という方針に切り替えて行こう。そうすると多少学ぶことは増えるが「必要以上に勉強したことがゆとりにつながる」と信じたい。そしてその結果が「東大の入試なんてへっちゃらだった」ということにつながればよいと思っている。
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「5.38すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」

 今日はテニスの予定でしたが、あいにくの雨で中止です。でも、明日は夜中の2時起きで和歌山に釣りに行く計画なので、体力を温存する意味で助かったのかも知れません。釣りは雨でも決行ですが、風や波の状況によっては船を出してもらうことができず、断念せざるを得ないときもあります。また行けたとしても、自然相手の話になりますから、全然釣れないというつれない結果に終わることもあります。海が穏やかで、沢山釣れますように!
 さて昨日の続きで、「塾長奮闘記」から国語教育に関する記事を紹介することにします。
「5.38すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」
前回「すぐ役立つことはすぐ役立たなくなる」という橋本武さんの言葉を伝えたが、これはすごい言葉だ。しかし、これがどのような状況で語られたかを知ると、もっと衝撃を受ける筈だ。それを紹介しよう。橋本先生の授業スタイルは、世の中ではスロウリーディングと呼ばれているが、中勘助の「銀の匙」という200ページばかりの文庫本になっている小説を、中学の3年間をかけて読み込むという型破りの授業だ。これに初めて直面した灘中の1年生は戸惑った筈だ。当然のことながら、それまで急げ急げの勉強をして灘に受かったわけだから、そのギャップは大きかっただろうと思う。しかもその授業が社会的評価を得る前段階のことであれば、こんなやり方で本当に力がつくのかと疑問に感じたとしても不思議なことではない。
 それでは「すぐ役立つことはすぐ役立たなくなる」という言葉が飛び出した場面を「奇跡の教室(エチ先生と「銀の匙」の子供たち)」(伊藤氏貴著 小学館)から引用してみよう。
昭和37年5月。
文庫本のページは1ヶ月たっても、まだ2枚しかめくられていなかった。
その日のエチ先生の授業は『銀の匙』のなかの、「ねずみ算」の文字から横道にそれていった。 …
「これは吉田光由という人が江戸時代のはじめに書いた『塵劫記』という、当時のベストセラー本に載っているんです。数学の本がなぜ江戸時代に人気になったんでしょうか? この『塵劫記』の原本を、少しだけ読んでみましょう」
橋本がそう言って、いつものようにプリントを配り始めた。そのときだった。
「先生!」
挙手しながらの一人の生徒の強い口調が、エチ先生の作業を遮った。
級長だった。
立ち上がった同級生の口から発せられた次の一言に、教室が静まり返った。
「先生、このペースだと200ページ、終わらないんじゃないですか」
級長は言い終えた後も、机の脇に佇んでいた。
プリントを配りかけていたエチ先生は、その手を止め、級長の顔を見つめていた。 …
やがて先生はプリントの配布を中断して、ゆっくりと教壇に戻った。
そして、一度教室中の生徒を見渡した後、つぶやくように言った。
「スピードが大事なんじゃない」
いつものような、教室の隅々にまでよく通る声ではなく、抑えた低い声は、しかし、凛とした響きがあった。
「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」
エチ先生は続けた。
その言葉の真意どおり、生徒に噛んでふくめるように、ゆっくりと --- 。
「たとえば、急いで読み進めていったとして、君たちに何か残ると思いますか? なんにも残らない。私の授業は速さを競っているわけではありません。君たちに速読を教えようとも思わない。それよりも、みんなが少しでもひっかかったところ、関心を持ったところから自分で横道にそれていってほしいと思っています。どんどん調べて行って自分の世界を深めてほしい。その時間をとって進めているつもりです」

エチ先生の言葉はなおも続く。
「すぐ役立つことは、すぐに役立たなくなります。そういうことを私は教えようとは思っていません。 …」
教室中がピーンと張りつめていた。
話を聞き終えた級長は、無言のまま着席した。
エチ先生は、張りつめた空気を和らげるように、にいっと笑うと、黙って再びプリントを配り始めた。

まるでドラマの一場面のようだ。灘の子達を圧倒するその気迫、その自信。橋本先生はまた、「一生役立つ学ぶ力」(日本実業出版社)の中で「教師の仕事というものは自分の人間性を生徒にぶつけること」だと述べている。さらに「教師が教師としての自分自身を磨いていけば、その姿は必ず子供達に届く」とも書かれている。これが50年という長きに亘って灘の教壇に立ち続けた橋本さんの一貫した姿勢だったのだろう。まさに伝説の教師だ。
 私は稲荷塾を始めて以来、自分のことを「講師」と表記して来たが、これは自分自身がまだ「教師」と呼ばれるレベルには到達していないと感じて来たことの表れだ。私の授業を「分かり易い授業」「おもしろい講義」等と卒業生達が表現してくれたとしても、それはあくまで通過点に過ぎない。もちろん、受験技術を最も効率的に、より根本的なところから、一番理解し易い形で伝えたいとは思う。しかしそれ自体が情熱を注ぐべき目的ではないに違いない。それらを超えたところにある高みに向かって努力を続けたい。

「5.37国語教師募集」

 複素平面等の高校課程に入ったり出たりしている分野の扱いについて、関連する記事を「塾長奮闘記」から抜粋するということを昨日書きました。しかしこれは国語教育について書いた3つの記事の3番目の話題として登場した内容なので、まず一つ目から紹介することにします。
「5.37国語教師募集」
 橋本武さんの「伝説の灘校教師が教える 一生役立つ学ぶ力」(日本実業出版社)を読んだ。文句なしで感動した。「奇跡の教室(エチ先生と「銀の匙」の子供たち)」(伊藤氏貴著 小学館)という本があり、元々はこの本を通して橋本さんのことを知ったのだが、「こんなすごい先生がいたんだ!」と少なからず驚かされたのを覚えている。この伝説の教師が有名になったのは現神奈川県知事の黒岩祐治氏が「恩師の条件」(リヨン社)という本を書き、橋本先生の教室での詳細を報じたのがきっかけで、NHK総合テレビの「ザ、コーチ」という番組で全国放送されたことによるものらしい。つい最近もテレビに出ていて、もう100才になろうとしているのが信じられないぐらいにしっかり話し、しっかりとした字を書いておられたと聞いているので、今では知っている方も多いのだろう。私は「恩師の条件」も読んでみたが、これは国語と数学という教科の違いもあり、橋本さんの授業がどのように素晴らしいのか、そしてそれをどのように数学の授業に取り入れて行けばよいのかということについて、よく分からないというのが正直な感想だった。だが、教えることに対するただならぬ情熱に圧倒された感覚だけは残り、一度本人の文章を読んでみたいと思っていた。だから本屋さんで「一生役立つ学ぶ力」を見つけたときには、目次等を見るまでもなく本をレジに持って行っていた。そしてその内容は期待を裏切るものではなかった。多くのことを考えさせられ、場合によっては塾の方針も修正して行かなければならないと感じているぐらいだが、その話はもう少し考えが整理されてから書くとして、今回は特に心に残ったことをひとつだけ上げ、それについて思ったことを書いてみたい。
 それは国語教育の重要性についてだ。少し引用すると、「英語学習がはやりのようになっていますが、それよりすべての学問の基礎となる『国語力』を付ける方向にもっと力を入れたほうがいいのではないでしょうか。 … 小学校から英語に興味がある子もそうでない子も全部ひとまとめにして教えても教師、生徒双方の負担になるだけ …」と述べている。また、「私の教え子たちは国語の成績がよければ、それに比例して英語もよい成績をおさめていました」とも書かれている。そういえば藤原正彦さんの「祖国とは国語」にも似たようなことが書いてあったと思い、調べてみると確かによく似ていた。国語の重要性を語り、特に小学生の段階では英語より国語に力を入れるべきだと説いているところはそっくりだ。ちょっと長くなるが、これも引用しておこう。「国語が思考そのものと深く関わっている。 … 言語は思考した結果を表現する道具にとどまらない。言語を用いて思考するという面がある。 … 人間はその語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない、といって過言ではない。母国語の語彙は思考であり情緒なのである。 … 日本人にとって、語彙を身につけるには、何はともあれ漢字の形と使い方を覚えることである。日本語の語彙の半分以上は漢字だからである。これには小学校の頃がもっとも適している。記憶力が最高で、退屈な暗記に対する批判力が育っていないこの時期を逃さず、叩き込まなくてはならない。強制でいっこうに構わない。 … 読書は過去も現在もこれからも、深い知識、なかんずく教養を獲得するためのほとんど唯一の手段である。 … 読書は教養の土台だが、教養は大局観の土台である。文学、芸術、歴史、思想、科学といった、実用に役立たぬ教養なくして、健全な大局観を持つのは至難である。 … 私はこの二十年近く、国語の重要性ばかりを語ってきた。国語こそが日本人の主軸であり、また日本人としてのアイデンティティーを支えるものだからである。その間、声は届かず、こともあろうに英語が小学校で教えられるなど、国語は軽んじられ、削られ、ついには折れかかるに至った。機を同じくして、成るべくしてと言おうか、国家は大苦難に直面することになった。この苦難の克服には時間がかかること、そしてそのための本格的な第一歩は小学校における国語教育の量的拡大と質的改善しかない、と今また声を大にして言いたい」かなり強い主張だが、元々藤原さんは明快な論理をベースにとても楽しい文章を書く方で、私のお気に入りの作家の一人だ。ちなみにこの人の専門は数学で、東大の理学部を出て、現在(?)はお茶の水女子大学の教授だ。沢山本を書いておられるが、そのうち新潮文庫から出ている本は全部読んだし、そのほかにも数冊読んだ。その中でも「祖国とは国語」は印象に残っている一冊で、その影響を受けて、私もいつかは稲荷塾で国語のクラスを開講したいと思っていた。そして今、橋本先生の文章に触れてみると、益々その思いが深まって来る。
 実は小学生部を始めた頃は、毎週テーマを決めてそれについての作文を提出するという課題を出していた。提出された作文は、読んでいて私もけっこう楽しめたし、添削をし、コメントを書き込んだりしているうちに生徒の文章が少しずつ良くなって行くという効果も感じることができた。しかし、何と言っても指導者が私では、そのレベルが低すぎるし、人数が増えて来るとこんなめんどくさい作業はやってられない。ということで、いつしかやめてしまっていたのだが、今思うと継続してやっておけばよかったと反省している。
 そういう意味で、稲荷塾の国語クラスでは、まず作文を復活させたい。エチ先生(橋本先生のあだ名)も「国語のカギとなるのは『書く』なのです。書くことによって読むだけではなかなか身に付かない『判断力』『構成力』『集中力』が養われる」と説明されている。
 さらに「話す」とか、「聞いて話す」、要するに会話、ディベート、弁論といったアウトプット系統の訓練も取り入れたいところだ。と言うより私自身がそういう授業を受けてみたいぐらいだし、ここに日本人の弱点があると指摘する声もよく耳にするからだ。
 それに加えて、それらすべての基本として「読む」力を、古典を含めて日本の美しい文学作品を通して身に付けるような授業をしてほしい。
 数学専門塾が、英語でも理科でもなく国語のクラスを開講するというのは、一見変だが、私の経験では言葉がしっかりしている子は伸び易いと思うのだ。敬語が使える子だとか、質問をするにも「ここまで考えたのですが、どうもその先に進めません。方針がまずいのでしょうか」「これで合っていると思うのですが、解答と一致しません。どこか間違っているのでしょうか」 … のように自らの状況を伝え、何が分からなくて、何が聞きたいのかを明確にできる子は成長が速い。 … こんな話をすると思い出すのはチューターのマロンこと坂上君だ。彼はよく9時半の授業終了時頃に塾にやって来て、質問をしまくった。ときには夜の11時近くまでつき合ったこともある。抜群に質問の仕方が上手かった。こちらが疲れていても、「これは大変だからまた今度にしよう」と言わせないような聞き方をした。そんな彼も、最初中1の終わり近くに塾に入って来たときは数学が苦手で、他教科の足を引っ張っていた。だから私は彼が文系だと思い込んでいて、高1になるときには数Ⅲの予定表を渡さなかった。「あのう、数Ⅲの予定表をもらってないんですけど …」から始まるやり取りの中で、彼が医学部志望だということを初めて知った。その後彼の成績はどんどん伸び、最終的には数学で洛南のトップ10に入るようになった。そして結局は府立医大に現役で合格することになったのだが、後にも先にもこれ程伸びた子は珍しい。会話能力と伸びる力が密接に関係している好例だと思う。 … 逆に質問する際に「これっ」としか言えない子も多く、「これがどうしたん? どこの何が分からへんのかちゃんと言わなあかんで」と注意しなければならないこともある。さらに言えば、授業後に「全然分からへんかった。もう1回初めから説明して!」などと言って来るような子もいて、ムカッとさせられることもある。こういう子が伸びることは断じてない。「頭がいい子に育てる親の話し方」(樋口裕一著 幻冬舎)にも「私の家庭は両親とも、私に対するときと、私の友達に対するとき、そして近所の大人に対するとき、地位の高い人に対するときで、それぞれ態度も言葉づかいも異なっていた。子どものころ、私はそれを不純に感じ、誰に対しても同じような口をきく近所の人たちのしゃべり方を好ましく思ったのを覚えている。 … そして、ふと気づいた。それなりに社会的に成功した子どもたちの親は、私の両親を含めて、相手によって言葉を変える人、私が当時、反発を感じていた親たちだった」と書いてあるが、これも同じく会話能力の大切さを強調する内容になっている。
 だから英語でも理科でもなく、国語だということになる。橋本先生の言葉を借りるなら、「すぐ役立つことはすぐ役立たなくなる」ということなのだ。入試で点を取るためというような枝葉の技術ではなく、どこまでも伸びて行ける根源的な力を鍛える塾にしたいということなのだ。
 ところで、これを一体誰が担当するのだろうか。ある程度できあがったような先生だと話は早いが、そんな先生が稲荷塾に来てくれることは期待できない。それより若く情熱がある方に来てほしい。仮に実力が不十分であったとしても、自ら努力する姿勢を示しつつ、第二の橋本武を目指し、これから自らのスタイルを築き上げて行けばいいんじゃないかと思っている。ということで、共に夢を追いかけることのできる国語教師を熱烈に募集したい。

複素(数)平面

 25日はほとんど一睡もせず、26日に帰って来てすぐに補習だったので、昨日27日はほぼ1日中ダウンしていました。
 さて、今日は複素平面の補習の最終回です。この分野が10年ぶりの復活であることについては前回触れましたが、その前は10年間高校課程の中に入っていました。そしてその前は2、30年ほど前に5年間だけ高校で教えられていました。(の筈です)従って、20年前この分野が高校過程に入って来たときには随分と戸惑ったことを覚えています。それはまず私自身が高校でも大学でも習ったことのない分野であり、次に複素平面に関する大学入試問題を探すこと自体が困難で、何より学ぼうにも関連する参考書がほとんどなかったからです。結局モノグラフで勉強しましたが、非常に詳しく書いてある反面、淡々と説明され過ぎていて、どこがつぼかを理解するのが難しかったことが印象に残っています。学ぶことが難しく、ましてやそれを人に伝えるのはもっと大変なことでした。
 結局、授業をしながら、いっぱい失敗をして、その上で勘を掴んで行くしかなかったのですが、今回久し振りに複素平面の話をして、当時の苦労等を懐かしく思い出しました。しかし同時に、このように現場を混乱させるような改訂には疑問も感じます。
 どのようにして高校過程が決められて行くのかという制度については興味がないのですが、実は高校過程の中には、複素平面以外にも出たり入ったりしている分野が他にもあり、こういった分野をどのように扱えば良いのかということについては、議論の分かれるところです。
 ちょうど今年稲荷塾から京大の工学部に受かった吉田君が、大学の授業で複素平面の話が出てきて面食らっていることを報告してくれました。「ええ~君達習ってないの?」と担当教授は言いながら、それでも基礎的な説明は抜きでどんどんと授業を進めて行ったそうです。いかにも京大的で笑ってしまいましたが、複素平面について言えば必要だからこそ高校課程に入ることがあるわけです。それを量的な見地から省略することもあるというのでは、おかしいように思います。稲荷塾では、重要と思われることは全部学ぶというスタンスで進んで行きたいと考えています。これに関連する記事が「塾長奮闘記」の中に「方針(少し)転換」というタイトルで載せているので、後日紹介したいと思います。

「5.30覚える」続編

 複素平面の3回目の補習が終わりました。今日は3時間かけて講義しましたが、複素数は回転が扱えるベクトルだと考えて良く、とても面白い分野です。この10年間は高校課程から外れていましたが、今の高1生が数IIIに入るときから復活することになっています。
 今回もまとまったことが書けないので、「塾長奮闘記」から勉強に関することを紹介します。
「5.30覚える」続編
コンピューターの性能はCPUの処理速度とメモリーの容量で測ることができる。このうちCPUの処理速度は速い方がいいに決まっているから分かり易い。しかし、もうひとつのメモリーの容量も実はとても大事だ。これが小さいと複数の作業をするのに支障が生じるし、単独の作業でもそれが複雑なものになればなるほど処理に時間がかかり、コンピューターの反応がのろくなってしまうのだ。
 これと同じことが人の脳についても言えるだろう。単純な計算能力がいくら高くても、それが活かされない場合があるのだ。たとえば複数の結果をひとつにまとめないといけないときとか、特にそれが単に計算の結果をまとめるといった話ではなく、いくつかの条件を結び付けないといけないときだとか、前問の結果を次の問題で使わないといけないといった場合、メモリーの大小が大きな影響力を持って来る。それと同時にメモリーの質も大切だ。ひとつひとつの条件の意味を鮮明に理解していなければ、当然その関係を理解することも難しくなってしまう。
 もう少し具体的な話をしよう。先日数IAのクラスで三角比の1回目の授業をしたときのことだ。三角比の直角三角形での定義に始まり、それを拡張して単位円で定義し直して、さらにサイン、コサイン、タンジェント相互間の関係のところまで進んだわけだが、様々な混乱が生じた。個々の内容は簡単だとしても、それを前提として次の話をすると、前提のイメージが揺らぎ始め、揺らぐ度合いに比例して次の内容が分からなくなって行くのだ。これは明らかにメモリー不足だ。
 中には非常に恵まれた理解能力、つまり優れたメモリーを持っている子もいる。そういう子は、こちらから見ていて「どうして分かるのか分からない」というような理解力を示し続ける。想像するに、過去に習ったことが型崩れせずに明確なイメージとして残っており、さらにそれが他のメモリーと密接なリンクを形成して、自ら新しい知識を創造することさえできるほどにアクティブな状況に成長しているのだろう。
 しかしこういった子がそんなにいるわけではなく、むしろこの逆のケースの方が多いのが現実だ。そしてその場合、「どうして分からないのか分からない」という状態に陥ることになるのだ。ここでは記憶は弱く、ちょっとした圧力で変形したり、消滅して行く運命を背負っている。一体どうすればよいのだろうか?
 これが今回のテーマだが、結論を言ってしまえば、弱いものは鍛えて強くするしかないのだ。弱いままで代換策を探しても、うまく立ち回るのは無理だ。いわゆるメモリーの増設が必要なのだ。ただしコンピューターでは中を開け、新しいメモリーを取り付ければメモリーの増設完了となるが、人間の脳はそういうわけにはいかないので、代わりに眠っている部分に活躍してもらえるようにトレーニングしなければならない。
 前回「覚える」で人に説明するのは、最高の記憶法だと書いたが、いつも説明を聞いてくれるいい対象を見つけるのは難しいので、まず自分に説明してみよう。「こうだから、こうで、こうでしょう?」のように、根拠があって何らかの経緯を経て結論に至る流れを説明してみよう。途中で「何でそこはそうなるのですか?」と説明している自分に質問を投げかけてみるのもなかなか良い。実は、分かっていないのに分かっていないことに気付かずに流してしまっていることがいっぱいあるのだ。そしてそういう曖昧さがメモリーを弱める原因になっているわけだ。人に説明しようとしてみると、自分が分かっていないことに気付くのだが、まずそれに気付くことが大切だ。そうして根拠と結論を結び付ける訓練をしているうちにメモリーが強化されて行く筈だ。結局生きているメモリーは他との関係の中で存在し、他との関係が薄いことが弱いメモリーの正体ではないかと思うのだ。従ってメモリーの容量を増やすためには「いろんなことと関連付けをしながら新しい知識を身に付ける癖をつける」ということが大切になって来る。
 こういう話をしていると、知識の関連付けに関してもうひとつ重要な側面があることを感じるので、それについても書いておこう。中学数学のクラスで「和と差の積は2乗引く2乗:(a+b)(a-b)=a^2-b^2」という展開公式を学んだ後、(a+b-c)(a-b+c) を展開する問題が出て来るが、これがその子のメモリーの質を問うひとつの試金石になっている。数学は一般的な法則を具体的な場合に適用するということで広がりをもって行くようになっている。そのことを理解している諸君は、何も説明しなくても「同じだな」と感じて
(a+b-c)(a-b+c)=a^2-(b-c)^2 =a^2-b^2+2bc-c^2
と展開して行くことになる。次のグループは「同じだろ」と言われて気付くことになるが、実際上、大半の生徒は「(a+b-c)(a-b+c)={a+(b-c)}{a-(b-c)}じゃないか」という説明を聞いてはじめて「何だそういうことか」と納得することになるのだ。しかしこの段階まで説明しても、まだ飲み込めない諸君もいるわけで、そういう場合は「じゃあ b-c=X とでも置いてみようか。そうすると {a+(b-c)}{a-(b-c)}=(a+X)(a-X) となるだろ」というような補足が必要になって来るかもしれない。だが、このような置き換えをしなければ、これが和と差の積の形であることが見えないようでは今後の発展性に乏しく、できるだけしたくない説明だと言うことができる。さらに、中には a-b+c=a-(b-c) の変形自体に苦しむ子もいたりして、こういう場合は早急に手を打たないと、早晩ついて来れなくなるのが目に見えている。また
(a+b-c)(a-b+c)=a^2-ab+ac+ba-b^2+bc-ca+cb-c^2
=a^2-b^2+2bc-c^2
とやれば答えは出るには出るが、ここで満足して、よりよい方法を求めないのも進歩のない姿勢だと言えるだろう。
 この「一般」を「具体」に下ろす作業も知識の関連付けの一側面であり、数学では特に大切な作業だと言えるだろう。実際 (a+b)(a-b)=a^2-b^2 と (a+b-c)(a-b+c)=a^2-(b-c)^2 の違いは、普段のお母さんとパーマをあてた後のお母さんの違いぐらいでしかなく、これを同じ話だと感じることが、「和と差の積は2乗引く2乗」という知識を汎用性のある知識として、つまり他と関連付けられた知識として記憶したことになり、そう簡単には消えないメモリーとなるのだ。前章「覚える」で数IIBの公式が驚くほど少なかったと書いたが、それは公式ひとつひとつが無数の具体的技術と結び付いていることを前提としての話だと理解し、「具体」により「一般」を強化し、「一般」により「具体」を簡明にできるようになってほしい。

親戚で不幸があったので、今日の午前10時頃に出掛けて、明日午後1時からの補習に間に合うように帰って来る予定です。

「5.29覚える」

 冬休みに入って2日目です。年末ということもあり、1年を反省し、新しい年の構想を練る期間としてこの休みを使っています。しかし考えるにはまず考える材料が必要だし、何よりも自らのレベルを1段階上げないことには、いいアイディアは浮かんで来ないので、本を沢山読むということから始めてみようと思いました。
 昨日は2冊読み、今日は新しい試みとして4冊を同時に読んでいます。1冊目で集中力が落ちて来たら、次に行くというやり方ですが、結構楽しいです。
 ということでまだ何かをアウトプットできる状態ではないので、「塾長奮闘記」から勉強に関係するところを拾って紹介することにします。
「5.29覚える」
 どんなにテニスがうまくてもラケットがなければテニスはできない。これは話を分かり易くするための一例に過ぎないが、どんなことであったとしても、まず道具をそろえないことには闘いの場に出て行くことすらできないのだ。数学の問題を解く際にこの道具にあたるものは、言うまでもなくそれは公式だ。
 三角関数の公式などは沢山あるから、最低限の公式を覚えておいて、あとは必要に応じて作ればいいなどと言う人もいる。これがナンセンスだと本当に気付かないのだろうか?! ラケットを作る道具だけをそろえておいて、ボールが来るたびに「ちょっと待ってね。ラケットを作るから …」なんて言っていて勝負になると本気で思っているのだろうか? そもそも必要に応じて即座に公式を作り出せるぐらいにその内容に習熟しているのであれば、その結果としての公式そのものだけは覚えていないなどということは起こりにくい。結局覚えていないとは分かっていないことの表れなのだ。
 まず道具をそろえる(公式を覚える)。そして、その道具を使いこなすための技術を身に付ける。つまり練習(演習)だ。これが順序というものだ。もちろんラケットを持たずにする練習もないわけではない。しかし、それは非常に限定されたものになるし、それだけでは勝てるプレーヤーになれないのは明らかだ。同じことで、公式も覚えずして演習をしても、大した成果を期待することができないと主張しているのだ。
 ところが、いつまで経っても道具をそろえない生徒諸君がいるものだから、そんなに覚えにくいものなのかと思い、数IIBの公式集を作ってみることにした。本来は復習ノートを作ることが、自分にとって必要な内容だけを集めた公式集を作ることになる筈なのだが、どうもその復習ノート自体を作っている気配がない。だからそのたたき台を作ってやろうかと思ったわけなのだが、作っているうちにだんだんと腹が立ってきた。覚えることの少ないこと少ないこと! 三角関数から始めて指数、対数関数、数列、ベクトル、図形と方程式、微分、積分まででA4用紙たったの11枚に収まってしまったのだ。たったのこれだけが覚えられないと言うのか! たったのこれだけの復習ノートが作れないと言うのか! 復習ノートには新しく出て来た公式に証明を加えたり、応用例を示したりすることもあるだろう。だから出来上がってしまえば、数IIBだけでも一冊のノートぐらいの分量になるかもしれない。しかし結果として覚えるべきことはたったの11ページ程度の内容に過ぎないのだ。これを私が知ってしまった以上、今後一切の妥協がないことを心得ておいてほしい。覚えるべきことを覚えていないなどということは絶対に許されない。 … と宣戦布告したところで、少し冷静になって「覚える」ということについて考えてみたい。
 何かを覚えなければならないとき、それを他の事象と切り離して単独のものとして覚えるよりは何か身近なよく知っていることと結び付けて覚える方が定着率が高い。また、五感すべてを動員することも重要だ。だから公式を覚えるときも、その証明を自分の手で鉛筆を持って書いてみるとか、その公式を使って解くような例題で演習をしてみるというようなことがとても大切だ。見ているだけではだめなのだ。そういう意味では人に説明してみるのは最高の方法だ。もし弟や妹がいるならば、あるいは学校の友達でも、場合によってはお母さんでも構わないから、「これ面白いねん」とか言いながら、つかまえて説明してみよう。この方法は、やり過ぎると嫌われるから、十分に気を付けて実行しなければならないが、その効果は絶大だと私が保証しよう。
 同様に英語の単語を覚える際にも、やり方が重要だ。まず長文問題を解く。知らなかった単語の意味を調べる。解き終わったら全文を声に出して読んでみる。詰まったり、英語らしい読み方ができなかったところは、2、3回練習して一通り読み終わったら、もう1回読んでみる。その後新しく出て来た単語を含む一文を大学ノートに書き写す。それを時間間隔を置きながら何度も読む。ウ~ン、完璧だ。私はこの方法で単語を覚えた。
 ついでながら、あのNOVAにも10年ぐらい通った。NOVAのクラスは9段階のレベルに分けられていた。1~6と7a、7b、7cだ。7は初級で、5は日本語で考えたことが英語で話せる、4は英語で考えて英語で話せるという基準で分けられており、3以上は英語で仕事をする人達のクラスだ。私は7bから始めて、最後は3のクラスにいた。さすがにこのレベルになると一緒に学ぶ人達の数が激減する。お昼間にグループレッスンを予約した場合は、大概マンツーマンで受講することができた。たまに同席する人がいても、彼らは留学経験があったりして、私から見ればほとんでネーティブと変わりはなく、彼らもまた私の先生だったと言える。私の英語は下手くそで間違いだらけだったし、彼らにペラペラッとしゃべられると耳がついて行かなかったけれども大丈夫。向こうもこっちの英語が正しいことを期待していないし、聞き取れなかったら、ゆっくりしゃべるように要求すればいいだけなんだから … 。とにかくNOVAでの勉強はとても楽しかった。 … 先生はレートの関係でニュージーランド人、カナダ人、オーストラリア人が多かったが、物好きなアメリカ人、イギリス人もいた。彼らはNOVAの規定で大学を出ていることになっており、マスターを持っている人さえかなりいた。基本的に学識豊かで、どんな些細なことに対しても我々とはまた別の視点でとらえているので、私にはそれが刺激的だった。何と言っても外国に出て仕事をしようとしているわけだから、それぞれに心に期するものをもっていて、そんな話を聞きだすのが大好きだった。私はレッスンがマンツーマンになると、必ずテキストから外れて彼らのパーソナルな話を聞いた。NOVAでは教室外で講師と生徒が会うことを禁じていたが、そうして親しくなった何人かとはテニスもしたし(インド人ロヒット)、家に招いて家内が作った鍋料理を食ったり(2mを越す大男ケビン)、チェスをしたこともあった(アメリカ人ケビン、彼はあちらの高校で数学を教えていたが、それを辞めてこちらに来て日本人女性と結婚した)。 … 費用が高いのが玉にキズで、一区切りを付けようと思って止めた次の月に例の問題が起こった。いつかは再開しようと思っていただけに残念だったが、いい思い出だ。話が大きく逸れたが、上に書いた単語学習法は絶対にいいので、是非やってみるように強く勧めたい。間違っても単語カードを使うというような無味乾燥な方法は採用しないようにしてほしい。
 ところで、大学入試に必要な単語量は6000語ぐらいだと一般に言われているようだが、これを中1からこつこつと覚えて行くとしたら、日々のノルマはどれぐらいになるだろうか。もし、1日に5つの単語を覚えるとしたら、1年で大体1500語、6年で9000語ということになるから、おつりが来ることになる。初めのうちは「I am a student.」でもう4単語だから、すいすいと進みそうだし、そのうちにあっちこっちにリンクが張られるようになると、「長文を読んで」の方法が使えるようになるから決してペースは落ちない。それに1日5単語って、何か簡単そうだし、いいんじゃないか? 実はこの作戦、中3の息子を乗せるために思い付いたものだが、これにより、勉強しないことにかけては右に出る者がいないと思われて来た彼を見事に釣り上げることに成功した。滅多に釣れないと言われている伝説の怪魚を釣ったような気分だ。ちなみに、伝説の怪魚はこの作業をもうかれこれ1ヶ月ほど続けている。ついでに言えば、舞鶴に釣りに行くと言って、石川遼君がコマーシャルしているスピードラーニングのCDを往復の4時間、聞き続けるのもなかなかよい。ときどき「ん、今何て言ってた?」とか言ってテキストを調べさせたりすると、「これは親父が聞き取れなかったところだ」などと思いながら彼が英文を読むだけで印象に残り易い。釣りで釣るとはこのことだ。
 今回余談もあったが、覚えるということについて、その考え方と方法論を数学の公式と英単語を例にとって書いてみた。


冬休みに突入

 塾をしていると「12月も年末になると追い込みで大変でしょうねえ」などと言われることがあります。しかし稲荷塾の場合、そんなことは全くありません。
 一般的に言ってセンター試験で大変なのは、理系の場合は文系科目ということになります。たとえば京大の工学部であれば、センター試験で評価されるのは社会が100点で、それに英語と国語が50点ずつで計200点満点のみです。数学や理科はいくらいい点をとっても0点になるのです。ですからセンター直前のこの時期、「社会が間に合わない~!」とか「国語が大変だぁ!」などと苦しんでいる彼らに2次の数学の勉強をさせても今ひとつノリが悪いということになります。
文型の場合もセンター数学レベルの対策ならば自分でできると考えている諸君が多いし、理系よりセンターの2次に対する比重が大きい分だけ、1分1秒も無駄にすることなくセンターの勉強をしたいと考えている彼らは、塾に来る移動時間までも、もったいないと感じているのです。
そういうことで稲荷塾では基本的にセンター対策はしません。あくまで2次試験対策に照準を合わせているいるので、稲荷塾における直前とはセンター明けを意味します。ちょうどその頃、新年度の生徒募集が重なって来るので、2月頃、塾は大変になりますが、今12月は普段と何も変わらない状態にあるのです。と言うより、この年末年始の12月23日(日)から1月6日(日)までは約2週間の休みをとっており、受験生以外の生徒諸君には家族で過ごす時間を十分に楽しんでもらいたいと願っていますし、私自身も休暇をエンジョイしようと考えています。

「5.58商売はやり方ひとつ」

「塾長奮闘記」を更新しました。
「5.58商売はやり方ひとつ」
年末だ。毎年この時期に来年度の生徒募集のためのチラシを作り始めることにしている。年度初めから、ああじゃないか、こうじゃないかとやって来たことを振り返ってみると次はこうしようというビジョンが生まれて来るので、大体これを元にチラシの文章が作られて行くようになっている。しかし今年の場合、来年度の構想はあっても、訴えるポイントは今年度と大きく変わるわけではなく、何を書けばよいのか全く案が浮かんで来ない。うんうんと苦しみつつ過去のチラシを見ていたら、何と2013年が稲荷塾開講20周年にあたることに気が付いた。
 その途端にいろんな思い出が頭の中を駆け回り始めた。チラシに関して言えば、初めて作ったのが1995年のことで、勤めていた予備校(関西文理学院)のリソグラフを借りて1万9千枚の個別指導の案内を刷ってみた。コピー用紙で作ったので紙質は今一で、印字が悪いものや印刷がずれているものも混じっていた。まさしく「ザ手作り」というチラシだった。これを既に京大生になっていた福田(「5.32 余分の力は抜こうぜ」に出て来たやつで初代塾生)に手伝ってもらって持ち帰ったのだが、B4のコピー用紙1万9千枚とは恐ろしく多い量で、彼の軽の車がチラシでパンパンになったのを覚えている。それでこのチラシの反応はどうだったのかと言えば、実に哀れなもので、たったの1件の問い合わせに終わったのだった。客観的に見れば、こんな怪しい広告で人が集まる筈もなく、当然の結果だったと言えるが、何の基盤もないところからビジネスを立ち上げることの難しさを思い知らされた。
 しかしこの1人がその後京大の法学部に受かって細々とした流れはつながって行くことになり、1997年に自宅という箱を準備したことをきっかけに一気に25人が集まった。これにより個別指導教室を脱して「塾」へと進化することができた。そしてその翌年生徒数は45人になり、さらに次の年50人を越えて軌道に乗って行くかのように見えた。
 だが危機は突然訪れた。2002年2月に撒いたチラシのヒット率は極端に悪く、新規の生徒を10人も集めることができなかった。基本的に年1回の生徒募集で運営して来ているだけにこれは大ピンチだ。私は暗い表情のまま、ビジネスの師匠上田氏に相談をすることにした。元々彼とはテニスを通して知り合ったのだが、年令も同じだし、考え方も共通部分が多く、いわゆる気が合う友達だ。当時はまだ上田さんの仕事も○△を作って販売するという業務だけをしていたのではなかっただろうか … 社長自ら前掛けをして○△を作っていた。その後○△料理専門店を開き、○△喫茶店をオープンし … とどんどんと攻勢に出て行くのだが、そのように事業を拡大する以前からビジネスが好きで好きでたまらないというタイプだったように思う。たとえば昼飯を食いに一緒にレストランに入ったとき、「店舗の広さがこうで、従業員が何人で、儲かっているのかどうか。俺やったらこうするな …」なんてことをすぐに考えてしまうんだと話していたことが印象深い。そうそう、「せやけど何で○△なん?」と私が尋ねたときの返答がかっこよかった。
「何でも良いねん。あのな、商売はやり方ひとつやで」
「!!」
そういうことで「ビジネスで困ったことがあれば上田氏(うえだうじと読む)」が私の中での公式になっているのだ。
 このときもヒットしなかったチラシを見ながら的確な指摘をしてくれた。まず塾の名前が悪いというのが第一点だった。「Math Lectureなんて、何やよう分からへんやん。稲荷塾にし!」この一声で我が塾の名前は「稲荷塾」に変わった。次に塾の売り文句を合格者の体験談の中で代弁してもらう形にしていたのだが、これも悪いと言われてしまった。「伝えたいことは自分の言葉でしゃべらなあかんで!」「ウ~ン …」「稲荷さんは経歴もユニークなんやし、もっと自信をもって自分を売らなあかんで!」
 結局塾名を変え、チラシの内容も大幅に変えて3月にもう一度広告を打つことになった。ひやひやものだったが、結果は大成功だった。またこのとき上田氏の勧めでホームページを作ったことも後々に大きな働きをしてくれることになった。本当に「商売はやり方ひとつ」なんだなあとつくづくと思う。
 さて来春で開講20周年、チラシにもそのまま書いた。これがヒットするかどうかは分からないが、他の塾では絶対にまねすることができないレベルを目指して突き進んで行くと心新たに決意し、再出発したい。
資料:稲荷塾(及び稲荷代表)20年の歩み
1993年春 高槻市にて個別指導教室を開講(3名の塾生は全員翌年京大に合格)
1994年春 関西文理学院(予備校)講師になる(2004年離職)
1994年暮 鈴木(国語)、戸田(英語)氏と3人でZ会京大マスターコースを立ち上げ軌道に乗せる(1999年離職)
1995年春 個別指導教室を向日市に移転(塾名を「Math Lecture」とする)
1997年春 長岡京市(自宅)にて京大受験専門塾を立ち上げる(受講対象生は高校生以上とする)
1998年春 受講対象生を中3生以上にする
1999年春 受講対象生を中1生以上にする
2002年春 塾名を「稲荷塾」に改める ホームページを作る
2003年春 中2から高校数学に入るクラスを作る 小学生部開講の準備を始める
2004年  エッセィを書き始める
2006年春 小学生部開講
2008年春 「熱血先生」に取材記事が掲載される
2010年夏 「驚きの東大合格率 小さな数学塾のヒミツ」(東洋出版)を出版
2011年春 稲荷塾校舎新築 週刊東洋経済に取材記事「数学に強い塾」が掲載される 中1から高校数学に入るコースを模索し始める(参加者1人)
2012年春 プレジデントファミリーに取材記事が掲載される 4人の中1生が「中1から高校数学に入るコース」に参加
2013年春 稲荷塾開講20周年 小学生部の目標を「中1から高校数学に入ること」とする

ブログ開始と福崎文吾氏(将棋九段)の訪問

 ホームページに「塾長奮闘記」というエッセィを連載していますが、これは生徒
及び保護者に塾の考え方を伝えたり、ためになると思うような話題を提供するこ
とを目的としてのものです。ですから何気ないつぶやきのように気軽に書くこと
はできません。気合を入れて、精神状態を上中下に分類するならば、上の状態に
もって行って書くことになります。
 それに対してブログは、基本的に日記ですから、中や下のときの自分も表現す
ることになるでしょう。要するにその時々に思うことを肩を張らずに、場合によ
っては考えがまとまらないままに書いてもよいということだと思います。
 それでは記念すべき第1回目のブログはおとつい文吾ちゃん(将棋の福崎文吾
九段)が遊びに来たことについて紹介します。
PC190562.jpg
 彼とはもう37年の付き合いになりますが、奨励会で将棋をしていた頃「年を
とったら一緒に将棋教室でもやろか」などと話していたことを思い出しました。
… そう我々も年をとってしまったのです。そして本当に稲荷塾の建物を使って
将棋教室を始めることになるかも知れません。
 ちなみに昨日アップした「1日に何時間勉強すべきか」はこのブログを始める
ために実験的に「塾長奮闘記」の最新記事を貼り付けたものです。そちらの記
事も相当量のストックがあるので、少しずつ紹介して行きたいと思います。

「5.571日に何時間勉強すべきか」

「5.57 1日に何時間勉強すべきか」
 先日ある生徒から「1日に何時間ぐらい勉強したらいいんでしょうか?」と聞かれたことをきっかけにいろいろ考えてみた。
 これはもちろん、どこを目指すのかとか、今の学年や、学力状況、さらに集中したときにどの程度のパフォーマンスができるのかという潜在的能力等によって変わって来るので、簡単に答えることができない。それから、この話は家庭での学習時間が問われているわけだが、学校でどんな授業を受けているのかということによっても必要となる時間が大きく変わって来ることになるだろう。結局この方程式にはパラメーターが多過ぎて解を求めることはできないことが分かるが、参考となる基準を示すことはできる。
 7年前サラリーマンからプロの将棋指しに転身したことで有名になった瀬川晶司さんがその著書「泣き虫しょったんの奇跡」だったかの中で「誰でも1日3時間、将棋の勉強をすればプロになれる」と主張していた。念のために言っておくが、将棋のプロ棋士になるということは、現役で東大に受かることの何倍も難しいことだ。その棋士になるのに1日3時間の勉強とは一体どういうことだろう。私も一度はその道を目指し、跳ね飛ばされた経験を持っているだけに、この一言を重く受け止めた。私が将棋の修行をしたのは高2、高3の2年間だったが、その期間はもちろん、その2年ほど前から将棋漬けの生活をしていた。3時間なんてものではなく、文字通り1日中将棋のことを考えていた。しかしそれが本当に「将棋の勉強」だったのかと問われると、急に自信がなくなって来る。結局「3時間の将棋の勉強」は全然できていなかったなあと、自らの取り組みが甘かったことを悟らされた。
 さて何が甘かったのだろう。一番後悔が残るのは「勝つ」という目的のための戦略がなかったことだ。だからただ好きでやっている趣味みたいなものになってしまっていた。もう少し具体的に言うと、現状を鋭く分析し、弱点を克服するための計画を立てたことがなかったということだ。これがあった上での「3時間の勉強」なら、どんなふうになっていただろうか。当然集中力も違うし、取り組む内容そのものも大きく変わっていたことだろう。
 これを受験勉強に当てはめてみると分かり易い。学校での勉強とか家での勉強などに分けるのはやめて、しっかりとした戦略に基づいた勉強が1日3時間できていればOKだと判断するわけだ。「えぇ~、受験学年になっても本当に1日たったの3時間でよいのか?!」という声が聞こえて来そうだが、真に意味のある3時間を確保するのは相当に大変だし、3時間以上は何もするなと言っているわけではないので、まず習慣的に行っている勉強の中身そのものを吟味し直すところから始めてほしいと願っている。
プロフィール

inarijuku

Author:inarijuku
稲荷塾について
東大・京大受験のための数学専門塾

著書:
稲荷の独習数学
教学社 





頭のいい子には中学受験をさせるな
メディアイランド




驚きの東大合格率
小さな数学塾のヒミツ
東洋出版

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