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面談は続く


 昨日、「塾長奮闘記」が更新できないと言ったばかりですが、急に書きたいことが出て来て、書き始めました。細切れの時間を使って書いているので、少し時間がかかりそうですが、来週初めぐらいにはアップしたいと思います。
 さて今週は新入塾の方の面談をし続けていますが、ある分野で日本一とか、また別の分野で日本二位という子達が入って来ました。また保護者の中には、非常にユニークな取り組みをされている方もあり、非常に刺激的です。本当は具体的なところをお伝えしたいのですが、それは無理なのでちょっと残念ですが、いずれにしても、稲荷塾が主張していることが市民権を得始めて来ていることを感じることができて、とても嬉しいです。




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「5.31 ぎりぎりの闘いに勝て!」


 今日は、受験生応援歌第2弾を、「塾長奮闘記」から紹介したいと思います。

「5.31 ぎりぎりの闘いに勝て!」
 「5.30 覚える」続編で一般法則を具体的事象に適用するという話が出て来たが、この逆もまた重要だ。つまり、個々の事象の背後に潜む一般法則を見極めようとする姿勢もまた科学の大切な一側面であると言うことができる。そしてこの一般から具体への方向と、具体から一般への方向の2つの方向性に注目して人を観察してみれば、多くの場合、人はどちらか一方の方向を好む傾向があるように思われる。「人というものは大体こういうものだ」とか「男とはこうだ、ああだ」といったような言い回しを好んで用いる人は具体から一般への方向が強い人だ。それに対して「あら、そんなことは人によるんじゃないかしら」などと個々の違いに注目して議論したがるタイプは一般から具体への方向が強い人だ。同じ理系でも理学部タイプと工学部タイプがあり、理学部タイプは一般法則が大好きで、工学部タイプは具体的技術に関心があるということで、興味の方向が随分と違っている。
 ここまでは「覚える」続編の補足だったわけだが、振り返ってみるとエッセィで取り上げるテーマは、一般法則に関するものが多いようだ。それは単に私が理学部タイプの人間だということだが、目指している方向としては、大学受験で圧勝するための長期的構想を模索するということになっている。またその背後にある家庭環境について考える場合も、どちらかと言うとすぐに効果が出るという類のものではなく、何年もかけて準備するという話が主流だった。しかし現実的には、今12月に入るにあたって、高3生達はぎりぎりの闘いをしている。理想は楽勝することであったとしても、人間のすることは無数のパラメーターの影響を受けており、なかなか単純な理論では割り切れないということなのだ。そういうことで、今回は即効性のある考え方について書き、受験生を応援してみたい。
 私が学生だった頃、西澤という男とあらゆる面で競い合っていた。身長も同じ、体重も同じ、生年月日も近いということで、何でもかんでも勝負の対象になった。その多くの分野で私が辛勝することになったが、どうしても勝てなかったこともある。まずその話をしてみよう。あるとき「公衆の面前で所信演説ができるか?」ということで勝負することになった。駅前の広場で夕方の人ごみの中で「皆さん!」とやるわけだ。私は勇気を振り絞って何とか実行した。あいつもやった。このままでは引き分けだ。するとやつはこれを電車の中でやろうと言い出したのだ。「よしっ!」と言うには言ったが、何度決意して電車に乗り込んでも、いざとなると声が出ず、遂に私はあきらめることにした。しかし西澤はやってのけた。何て馬鹿なやつなんだ! 悔しいが完敗だ。次は逆立ちの勝負をした。逆立ちと言っても壁に足をかけての根性勝負だ。初めは30秒ぐらいでどちらかが耐えられなくなって落ちてしまったが、次第に互いのレベルが上がり、1分を突破するようになった。そうするうちに私がコツをつかみ、1分半ぐらいに急激に記録を上げた。これで勝負ありと私は思ったが、そうではなかった。何分彼が逆立ちをしていたかは忘れたが、5分だったか7分だったか、とても人間とは思われないような大記録をあいつが打ち立ててしまったのだ。私は戦意喪失、これまた完全敗北となった。
 学生時代の馬鹿話は思い出深いし、その頃の友達は一生の財産だ。私にとって西澤は良きライバルでもあったが、彼との思い出はまさにその宝物だ。月末にはお金がなくなって、2人でタマネギのしょう油炒めを食べ続けたのも懐かしい。そういえば4回生のあるとき、交代で2人分の弁当を作ることにしたことがあった。自分の研究室でやつが作った弁当を開けたときのことが忘れられない。私はすぐさまそれを閉じ、人のいない公園に行って1人でそれを食べた。一枚の巨大な御揚げでご飯がくるんであるだけの弁当だったのだ。これが本当のイナリだってか?! 目を閉じるとあいつの笑顔が鮮明に蘇って来る。腕相撲も何年間にも亘って闘い続けた。ずっと私が勝っていたが、だんだん追い付かれ、最後は勝負がつかないぐらいになった。何てしぶといやつなんだ! その西澤がよく言ってたことを書いておこう。「自分が苦しいときは、相手も苦しいんだ」
 受験もこの時期に入ると知識や技術以上に気合や根性といった精神面での充実が特に要求される。それは、「もし負けると、次のチャンスが来るまで1年待たなければならない」ということが相当なプレッシャーだからだ。こんなに大きな勝負は生涯を通してもそんなにあることではない。当然苦しいことだろう。しかし苦しいときほど思い出してほしい。競っている相手も同じように苦しんでいるんだと。そしてそのぎりぎりの闘いに勝ってこそ、頑張ったことが永遠の輝きを放つようになることを。





ニッシーイズム

  昨日、このブログの字が見にくいという指摘があったと書きましたが、別の方から「塾長奮闘記」も見にくいので紙に刷って配ってくれという要望がありました。「塾長奮闘記」についてはそのようにしようと思います。
 ですが、このところの予定を見ると、新入塾の方の懇談を朝からしつつ、合間を縫って、高3生が直前演習で作った解答を採点したり、新年度の準備のための雑務をしたりしているので、物事をじっくり考える余裕がありません。2月に入ると、高3生は基本的に学校が休みになるので、お昼間に補習を入れることになり、この忙しさは2月いっぱいまで続くことになります。ということで、「塾長奮闘記」は当面更新できそうにありません。ご了承下さい。
 今日は再び「連絡帳」から、面白い書き込みを紹介します。

 先生も、先生のお友達も「情熱のかたまり」の方々ですね。「5.22 西村メール」を何度も読みました。努力の仕方をよく知っておられるし、純粋に自分の道の為に行動し、結果を出している。娘だけでなく、私自身も何かをする時、楽しみながらできるようになりたいです。これは「欲するものを得るための苦労」それを心地よく感じるということと同じなんですよね。私はいちいち考え過ぎて行動できなくなってしまうので、シンプルに地道に落ちついて行動していきたいと思います。
 
 このお母さん、ひょっとしたら私以上に西村イズムに染まっているかも知れません。ただ、ひとつ注意しておきたいのは、西村コーチは私の師匠であって、「お友達」ではありません。(だったらどうして「ニッシー」なんて呼んでるのかって?!) 
 













「ただ」の補習



 ブログの字が読みにくいという指摘を受けたので、今日から少し大きい文字を採用しました。どうでしょうか? 字を大きくしなくても、行間を空ければいいという意見もあり、いろいろと試してみたいと思います。
 今日は数IAのクラスで、条件付き確率や独立の内容を学びました。この範囲は新課程になって新しく加わった分野なので、高1以下の諸君に関係して来ます。従って「昨年以前に数IAのクラスに在籍していて、この分野の話を聞いていない生徒は全員参加するように」と呼びかけていたのですが、1人の欠席者もいなかったのには、かえって驚きました。「ただ」の補習はお得感があったのかも知れません。






今日は入塾説明会


 今日は午前10時からの部と午後2時からの部、そして4時からの部の3回に分けて入塾説明会をしました。2回目までは元気だったのですが、4時からの部ではどっと疲れが出て、顔は埴輪のようになるし、声は出なくなるわで大変でした。4時から来ていただいた方、申し訳ありませんでした。
 その後、懇談の日時を決めたり雑務をしていたら、今(23時50分)になってしまいました。もう頭もまわらないので、今日は寝ます。(それにしても全豪オープンの決勝を見逃したのは残念でした)

「5.48 ミッションステートメント」

 
 浅田次郎著「壬生義士伝」を読み終えました。その重く、そして美しい物語に耐えて来ましたが、最後の最後には遂にこらえ切ることができなくなりました。家人が驚くほどの大声で泣いてしまいました。それもまるで子供がしゃくり上げるように。
 浅田次郎の小説を読んだのは「日輪の遺産」に続いてまだ2作目ですが、これら2作は次の2点で全く共通していると思います。一つは世間に認められないところの正義を貫くというストーリーだということで、もう一つは後世に夢を託すために自らは犠牲になるということです。
 稲荷塾の主張するところは「世間に認められないところの正義」などというような大それたものではありませんが、あまり社会に認められていないという意味では少し通じるところがあるかも知れません。しかし何より、この年になると、次の世代に夢を託すということが人生の大きなテーマになり、小説の登場人物たちの心情が私の心の中にストレートに入って来ました。浅田次郎著「壬生義士伝」、絶対のお勧めです。
 それでは、「日輪の遺産」を読んだときのエッセィを「塾長奮闘記」から紹介します。

「5.48 ミッションステートメント」
 「7つの習慣」(スティーブン.R.コビー著)の中でミッションステートメントを作るように勧めている箇所があった。この本を私が読んだのはもう10年も前のことだが、非常に感銘を受け今までに何度も読み返している。それほどに多くの影響を受けたし、書かれている内容は大筋で実践しようと努力して来たつもりだ。ただ、ミッションステートメントを作るということに関しては、気になりながらも実行できずに来てしまった。
 ここで言うmissionは使命で、statementは声明だから、「ミッションステートメントを作る」とは、心静かに自分自身に問いかけて自らが真に目指す目標を見出し、自分が本当に大切だと考える価値観を明確にし、それを文章化するという意味だが、これが案外難しい。何度かトライしたが、文章化するという段階に至ったところで表現を詰めきれず、気が付いたら10年が経っていたというわけだ。
 ところで「5.47バリ紀行」で「日本の価値観って何だろう」なんてなことを書いているが、これには伏線がある。8月14日にwowowで「日輪の遺産」を観たのだ。「バリ紀行」をまとめようとしてぼうっとしていたときに家内が観始めたものだから、何となく付き合ってしまったというわけだ。しかしその内容は何となく過ぎて行くといった類のものではなかった。文句なく泣けた。子供の頃に「慟哭の花」という沖縄のひめゆり部隊を題材にした連続ドラマを母親といっしょに観ながら、2人して泣いたことを思い出した。「日輪の遺産」の最後の方でも13才の女の子達が玉音放送を聴いた後、青酸カリを飲んで自決するが、ちょうどこの1945年8月15日、12才だった私の母にとって「慟哭の花」や「日輪の遺産」の物語は単なる物語ではなく、実際に体験して来た実話だった。「神国日本が負ける筈はない」と堅く信じていた母にとって、この玉音放送は到底受け入れることのできない大事件だったのだ。さらにその後の日本で引き続き起こった一大パラダイム転換には戸惑い続けたと聞いている。果たして日本は本当に間違っていたのか。 … 映画を観た次の日、私は本屋さんが開く時刻を待って、浅田次郎著「日輪の遺産」(講談社)を買いに行き、一気に読んだ。映画と小説では設定が違っている部分もあったが、基本的な筋書きは一致しており、映画では見落としてしまっていた詳細もよく理解できた。これはすごい小説だ。もちろんフィクションの部分もあるが、よくここまで史実を調べ上げたものだ。その時代の状況やその時代を生きた人達の心情がつぶさに表現されている。
 私達は、太平洋戦争を単なる侵略戦争だったと習って来た。無謀で無意味な戦争だったと。もちろん戦争なんだから、多くの不条理と矛盾に満ちていたことは否定できない。しかし当時、欧米列国によりアジア黄色人種は牛馬の如くに扱われ、愚民化政策により搾取され続けて来たのであり、その不幸を絶ち、アジアの独立を勝ち取るために悲愴な決意で立ち上がり、一人責任を持とうとした日本の大儀は真実だったと私は信じる。日本は、到底太刀打ちできないと思われた強大な敵に反旗を翻し、孤軍奮闘したアジアの星だったと私は信じる。その証拠は、戦後アジア諸国が欧米の植民地支配から独立したことであり、台湾の人達にしてもインドネシアの人達にしても、それを日本の支配からの開放だとは考えていないことだ。むしろ日本から勇気をもらったと日本に感謝し、日本のリーダーシップを尊敬しているのだ。このようにアジアの人達が日本を見て来たことについて、私は2年前に台湾を訪問したときに初めて知った。その驚きを「5.13バラマンディー」にも書いているが、日本がして来たことを台湾人が高く評価している事実と、私が学校教育を通して日本は間違っていたんだと教え込まれて来たことがあまりに違うものだから、これは本当なのだろうかと初めは半信半疑だった。しかしその後、少しばかり調べてみる中で学校で教えられて来たところの歴史認識は全くの嘘だと思うようになり、今回インドネシアを訪ねてみて、それはほぼ確信になった。いろんな事実を上げることができるが、最も明快な点は「5.47バリ紀行」に書いた通り、バリ島では学校で日本語を習っているのだ。確かにバリ島での日本人観光客は多いが、それだけでは学校で日本語を習うということにはつながらないだろう。(中国人や韓国人の観光客も同様に多いが、中国語や韓国語が学校で習う教科にはなっていない)それほどまでにバリの人達が日本を好意的に見ているのは、単に日本が経済的に成功したことによるものではないのは明らかだ。
 私は自らの祖国を愛する。しかしそれが自分の国だけを愛するということになってしまっては、単なるナショナリズムだ。場合によってはその違いは微妙であり、自らの内に巣くう偏狭なナショナリズムを克服することが難しいこともある。たとえば、某近隣国が露骨なナショナリズムをむき出しにし、醜い言動を繰り返して来たらどうだろうか。日本の肯定的な面には一切触れず、負の側面だけを責め続ける強硬な姿勢を見せて来たらどう感じるだろうか。これに腹が立つということは即ち、自分も同じレベルのナショナリズムを有しているということになってしまうだろう。世界平和だとか人類愛といった美しい題目を否定する人はいないが、その実現を阻んでいる原因のひとつがこのナショナリズムであり、これを克服するのは相当に大変だ。このことを知った上で、しかしそれでも今の日本に必要なことは、国を愛する心を育む教育だと思う。この国を守り導いて来た先達たち、そしてこの国の将来のために命を捧げて来た多くの名もない人達に感謝し、それを誇る気持ちを育むことが絶対に必要だ。それができて初めて、我々と同じように自分の国を愛する隣人がいることを理解できるようになって行くと思うのだ。自国の歴史に誇りが持てず、卑屈になっているような精神状態からは何も生まれて来ないと私は信じる。
 「日輪の遺産」でも「責任の自覚と勇気ある行動」という表現がキーワードとして出て来るが、この言葉は私の心情とぴったりフィットする。次代を担う若者達が立派に成長してほしいし、幸せに暮らしてほしい。そんなことを考えていたら、突然私のミッションが言葉になった。
「世界的で歴史的な貢献をする人材を育成しよう」
 「世界的で歴史的な貢献」であって「世界的で歴史的な実績」ではない。これは、国を愛する心を持ち、自分自身に与えられた責任を自覚して生きてほしいということだ。そしてこのミッションステートメントは、そのまま稲荷塾のミッションステートメントにもなっていると感じることができたので、自らの内に留めておくのではなく、このエッセイ上にも公表することにした。




「5.22 西村メール」


 今日は英語の勉強はやめです。というか無理です。何故って、そりゃあ「ニッシーレッスン」があったからです。自らの命を守るための盾として娘を持って行きましたが、全く役に立たず、今も下痢に苦しんでいたところです。
 かくも強烈な西村コーチを知ってもらうために、今回は「塾長奮闘記」から「5.22 西村メール」を紹介します。
「西村メール」
 イチローのように実績を出し続ける人、勝ち続ける人はかっこいい。自らもそうでありたいと憧れを抱き、動作や話し方をまねてみたり、場合によっては語録を集めたような本を読んでみることもある。しかし、思い描いた如くの自分になるのは究めて難しい。
 実績を出し続ける人とそうでない人と、一体どこが違うのだろうか。根本的に人間のレベルが違うのだろうか。そうでなければ何か隠された秘密でもあるのだろうか。… 大体こういう思考は想像から始まるもので、本気でその答えを探しに行っていないだけに、確かな結論が出るようにはなっていない。というよりも、心はその「秘密」を既に知っており、知っているが故にあえてそれを直視しようとはせず、別の安易な道を模索しているに過ぎない。このことを認めるにはちょっとした勇気が必要だが、一本のメールがその勇気を与えてくれた。
 若い頃に京都のアマチュアテニス界のトップに立ち、長年その座を守り続けて来た西村コーチだが、ここ数年は力が落ち始め、昨年に至っては優勝にからむ前にトーナメントから姿を消すことも多くなった。もう西村コーチの時代は終わったと誰もが思ったことだろう。だが今年に入ってからのコーチはまるで別人だ。鬼神のように勝ちまくっている。私は思わず
「コーチはかっこいいですね!」
と言ったところ
「何で?」
と問い返されて口ごもってしまった。
「何でって …」
 コーチも今年で既に45才だ。この年になるとスポーツ選手としてさまざまなハンデを背負うことになる。視力が衰え、反射も遅くなる。何よりも体力が落ち、回復に時間がかかるようになる。私も昨年1年間、コーチの代理で京都国際高校に週1回「スポーツ」の授業の担当に行ってみて、つくづく感じるものがあった。「スポーツ」の授業とは1時間40分の間、テニスの練習のメニューと手順を決め、休みなく彼らが動くように指示しながら自らもその中に入って一緒に練習をするというものだったが、リードする者が率先して頑張らない限り、全体のムードがだれてしまう。体調がいいときはこれも楽しい作業だったが、疲れていたり腰が痛いようなときは、コートに行くこと自体が苦痛だった。週に1回でもこれだから毎日となると気が遠くなる。コーチという仕事は本当に大変だ。その上に選手としても活躍しようと思えば、相当の自己管理が要求される。加えて、上に書いたように年々年令によるビハインドが増していくことを考えれば、西村コーチがかつてのように勝てなくなったとしても、それは当然のことで、そのことでコーチの価値が下がったとは誰も思いはしないだろう。
 それなのにコーチは復活した。昨年から新しいトレーニングを取り入れて、黙々とやり続けた。徐々に状況は良くなり、今年に入ると、出る筈のない結果が出始めた。そして今や誰もコーチを止めることができない。一体この人はどうなっているのか? これを「かっこいい」と言うのではないのだろうか。
 ここで上記の「一本のメール」を見てみることにしよう。これはこの4月の後半に行われた東海毎日ベテラン選手権大会(45才以上の部)で西村コーチが優勝したときのものだ。(一部表現を変更)

  リタイアを繰り返した昨年の屈辱からようやく抜け出せそうな予感。
 この半年間を支えてきたものは人としての欲だ。幸せになりたい、いい想いをしたいと考え続けた。
 当然そのためには「苦労」が必要になる。しかしこの「苦労」は不幸とか嫌な想いとかとは別物だ。
 「欲するものを得るための苦労」、それを心地よく感じ、シンプルに地道にやり続けることが大切だ。
 楽ではない。簡単でもない。
 しかし、困難もなく休みながらやれるなら、何をやっているのかさえ分からなくなってしまうだろう。
 振り返ったとき、自分の歩んだ道が真っ直ぐな一本道であってほしい。
 だからひっこみがつかなくなるのを承知で有言実行をする。
 人間だから挫けることもある。しかし少しでも可能性があるうちは何度でも立ち上がってやる。この身体や心が何も感じなくなり動かなくなるその時が来るまでは。
 悔しかったり痛んだりするのは、まだその道を進みたい証し。だから頑張らなければならない。そう思い続けて自らを奮い立たせていた。
 平坦じゃなかった。足が前に出にくい日もあった。でも誓いや恩師が手を引き、皆さんが背中を押した。
 そんな半年間だった。
 そして西村劇場の第2幕はまだ開いたばかり。
 ともによき人生を!

 こんなメールは見たことがない。これは限りなく「詩」に近い。この中で『少しでも可能性があるうちは何度でも立ち上がってやる』と決意を表明しているところが最も強く私の胸に迫って来た。同年代の人間として残された人生をどう生きるかということが切実なテーマになっているからだ。それと同時に『「欲するものを得るための苦労」、それを心地よく感じ、シンプルに地道にやり続けることが大切だ。 楽ではない。簡単でもない。しかし、困難もなく休みながらやれるなら、何をやっているのかさえ分からなくなってしまうだろう』の部分にはいろいろと考えさせられた。これこそ日本一ストイックなコーチと呼ばれる西村コーチの哲学をよく表しており、誰でも知っているけれども知っているとは思いたくなかった、いわゆる「秘密」に当たるところだと思うのだ。やるべきことを前にして心は重くなりがちだが、これを「心地よく感じ」て行けるようなメンタルになってみたい。

連絡帳


 英文を読むのが遅い理由のひとつに、頭の中で発音しながら読んでいるからだというものがあるそうです。そうだろうなと思いつつ、自分の読み方をチェックしてみると、まさしくその通りでした。実は私の場合、日本語を読むのも相当に遅いのですが、やっぱり頭の中で発音していました!
 これは癖になっていて、何かの必要に迫られて速く読まなければいけないとき以外は必ず1字ずつきっちり発音して読んでいます。だから遅かったんだと妙に納得しました。もちろんギアセカンドが使えないわけではありませんが、滅多に使いません。何故そうしているかと考えてみると、その方が私にとっては心地よく、書いた人の心情に同化しやすいからだろうと思います。

 このところ忙しいと叫び続けているのに、それに矛盾するようではありますが、今、浅田次郎の「壬生義士伝」を「ゆっくり」読んでいます。もう相当にその世界にはまり込んでしまった感じです。 … 稲荷塾の小学生部には連絡帳というものがあって、私と保護者の間でやりとりをしているのですが、先週の書き込みに次のようなものがあったのです。
 昨日、DVDで壬生義士伝を見ました。泣けて泣けて仕方なかったです。究極の所、人のために自分を犠牲にすることができるかどうか、が人の人たることなのかと思いました。
 こんなことを書かれたら、読むしかないでしょう! 早速近くの本屋さんに行ったのですが、売っていなかったので、近いうちに京都の本屋さんに行きたいなと思っていたところ、一昨日、家内が「見つけて来たよ」と言って渡してくれたものですから、それ以来睡眠時間を削って読み進めています。ゆっくりと。
 ところで、この書き込みをしてくれたお母さん、強力に稲荷塾を応援してくれています。ついでにもうひとつ、連絡帳から抜粋しておきます。
 本当に稲荷先生のされていることは日本の教育のパラダイムを変えると思っています。それに周りの人が気付かない方がおかしい。今現在のシステムで利益を得ている人たちは変わろうとはしないはずなので、世代間闘争になっていくかもですが…。できる子はとてつもなくできるように、できない子もできるように、これが自然な形ですすんでゆくために稲荷先生の手法が最もすばらしいとおもいます。
 う~ん、こんなふうに応援してくれる人がいるのかと思えば、おじさんも頑張らなくっちゃ!

作文教室の近況報告

 昨日「ブログを書くのは大変だ」と弱音を吐いていたら、早速作文教室の担当の小西先生から助け舟が出されました。第1回目の添削が終わったところでの報告記事です。
 今回はそれを紹介しておきます。

************************近況報告の記事*******************************

作文教室では、月に1回教室での指導があり、週に1回家で作文を書く。その宿題の第1回分が全部届いて添削を終えたところだ。皆、自分の言葉でしっかり書けていた。今回の課題は「好きな食べもの」だったが、結論は全員違っていた。これが作文のおもしろいところだと、私は最後に届いた子の作文を読んでにんまりとしてしまった。自分の感想や意見を言語ではっきりと主張する。これは作文学習の基本だ。今回は結論に注目し、指導内容と皆の作文を少し紹介しようと思う。

小学3年生は思ったことを長く書いて作文を結ぶことが目標だ。自分の好物が何よりもおいしいということを自分の体験談を説明しながら主張していて、生き生きとした内容になっていた。結論には、またすぐに食べたいと書いた子もいれば、こんなメニューがあることはすごいと書いた子もいた。

小学4年生からは、四段落構成の書き方を学ぶ。聞いた話を第三段落に入れて話を転換する方法を理解し、上手に起承転結のついた文章にまとめていた。お母さんの好物を取材し、将来の夢に発展させた結論を書いて完成度の高い作文を仕上げていた。

小学5年生では、前の話を入れて話を転換し、結論にわかったことを入れて深くまとめていく。成長によって好物は変化することを自分の体験から説明し、わかったことを導き出せていた。

小学6年生では、「好物とはどういうものか」ということを考えて結論を書く。これはかなり難しく、「大事なもの」と表現しやすいのだが、「幸せを運ぶもの」「自分を表現するもの」「笑顔にするもの」と自分の体験談から出た結論を書いていて説得力があった。

第2回分の宿題が届き始めている。これからどんな言葉を使って自分を表現してくるのか楽しみでたまらない。

 もうひとつ、書いておきます。今年のセンター試験の国語はかなり難しかったようで、苦戦した生徒が多かったのですが、その国語の問題のうち現代文のところをやってみた小学6年生の子がいて、結果は何と1問間違いだったそうです!6年生ですよ…。
 ついでにもうひとつ。今日初めてスカイプを使いました。顔を見ながら話すので、電話より断然いいですね! それに、「この本、知ってますか?」などと言ってカメラに本を向ければ、それで伝わってしまうのですごく便利です。将来的には数学の指導等にも使えるなと思いました。



即実行すべし!


 センター試験の自己採点の結果が集まって来ました。「塾長奮闘記」の「5.60 稲荷塾のミッション」でも述べている通り、センター試験という制度は多くの不備を抱えていると私は考えていますが、集まって来た自己採点の結果を見ると、不思議に、個々の現状を表した形になっています。
 これは知識の量を問うことに問題があったとしても、そのように定められたことに対して、どのように対応すべきかという戦略的思考を働かせることができたかとか、必要な情報を収集し得たか、さらには、自らが立てた作戦をどの程度実行したのかということが結果を左右するからだろうと思います。ですから試験そのものは悪くても、その結果は大筋で受験生の実力を反映したものになるということなのだろうと思うのです。そういう意味で、思わしくない成績だった諸君も、その結果そのものではなく、そこに至ることになったところの自分の取り組みを反省し、2次試験で挽回するための道を探し出してほしいと願います。
 以上書いたことは前回の「いざ2次試験へ!」の内容とも通じる話ですが、注意事項は「即実行すべし」ということです。悩んだり落ち込んだりしている時間はありません。じっくり考えて作戦を立てたならばすぐに実行を開始しましょう。この1ヶ月の闘いが、今で眠っていた能力を開花させるきっかけになることを願っています。

 このところ受験生に関することと、入塾説明会の話題が多いですが、これが同時進行するのがこの時期の塾の状況です。それに加えて英語の勉強を始めたことと、このブログを書き始めたことが重くのしかかって来ます。何を書けばいいのだろうかと悩まない日はありません。小西さん(作文教室の先生)! 助けて下さい。さらに、実は今テニスの全豪オープンの終盤に差し掛かり、目が離せません。(離したらいいだけってか ?!) まあそういうことで、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうですが、頑張って行きましょう。

いざ2次試験へ

 世界NO.1プレーヤーのジョコビッチのベスト8への道のりはとても厳しいものでした。ファーストセットは靴がコートに合わず、何度も滑ってこけそうになりました。靴を替えてセカンドセットは少し盛り返しましたが、何と言っても相手選手のバブリンカの調子が絶好調でしたし、ジョコビッチと対戦するための作戦を練りに練って来ているのが見ていて分かりました。どう見てもジョコビッチの負け試合でしたが、5時間を越える死闘の末に勝ったのは、やはりこの男ジョコビッチでした。
 正直言ってしびれました。彼は、普段はものまねをして人を笑わせたりして、軽いキャラのように振舞っていますが、こなしている練習は半端なものではありません。あらゆる状況を想定してのハードでかつ地味なトレーニングを積み重ねており、それを一言で表現するなら、「人がそこまでできるものかと、にわかには信じることができないぐらいのレベル」です。その結果がこれなんだなぁと、じ~んと来るものがありました。
 どのような分野にも、どんなに厳しい状況であっても結果を出し続ける一握りの人達がいます。受験生たちにもそうあってほしいと願いますが、まずとりあえず目先の受験に勝たなければならないので、ジョコビッチの練習からまねのできるところを拾ってみましょう。
 昨日センター試験が終わりました。あと1ヶ月とちょっとで2次試験です。たとえば物理に問題があるとしましょう。しかし物理の何が問題なのでしょうか?よく理解できていないところがあるのか、問題を解くのに時間がかかり過ぎることが問題なのか、導入部分でのミスが多いのか、計算の処理でつまずいているのか、…まず状況を正確に把握することが大切です。漠然と「物理を強化しなければならない」などと言うのはやめましょう。
 状況を明確にするためには、時間を正確に計って、理科2科目セットで一人模試をすることがお勧めです。2科目のうち、得意な方から始めるのか、苦手な方から始めるのかという順序を変えるだけで点数が大きく変わることもあります。あらゆる状況を想定しての準備をするためには、どんな状況が起こり得るのかを知らなければなりません。再びテニスの例に戻ると、フォアハンドが得意な選手でも、緊張した場面になると、その得意な筈のフォアハンドで多くのミスをすることがあります。つまり「彼はフォアハンドが得意だ」という理解と「彼はフォアハンドが得意だが、緊張した場面ではフォアに弱点がある」という理解では深さがまるで違うのです。私が言いたいことが伝わったでしょうか?
 毎年のことですが、この1ヶ月ほどの期間に劇的に能力を伸ばす生徒が出て来ます。受験生諸君にはそういう人になってほしいと願っています。


コメント紹介

「塾長奮闘記」の「5.59 AIU」で紹介したFacebookのおもしろい「友達」がおもしろいコメントをくれましたので、シェアします。

若気の至り
稲荷先生の「余分な力は抜こうぜ」を読んで、私も若かりし頃の受験での愚かなお話を書こうと思う。もう35年も前の話だ。某大学の一次試験を通過し、2次試験となった。試験前の緊張で、眠れず、どうせ眠れないならとクローニンの「城塞」という本を手にした。青年医師が金に目がくらむが、その後真実の医療に目覚める感動的なストーリー、俺も医者になって、同じ感動を味わいたいと、純粋な私は物語と同化していた。試験が始まった。難解な英単語で、気の遠くなるような長文を読んでいると、あれ、これ「城塞だよ」。あらすじがわかっている英文は、日本語のようなものだ、この大学は俺を呼んでいる、合格するのではとひそかに思った。試験が終了し、面接となった。履歴書の欄に、私は、特技「将棋」と書いていた。実はこれにも裏があって、北杜夫のエッセイで、面接のとき特技囲碁と書き、どのくらいの実力ですかと尋ねられた時、「自分でも計り知れないです。」と答え、大爆笑を誘い、首尾よく成果を収めた話が下敷きになっていたのだ。そして、予想通り、面接官の一人が、将棋の実力を聞いてきた。もらった!!、ほくそえみながら私は「自分でも計り知れませんと」答えた。大爆笑のはずだった、が、小部屋は静寂に包まれた。あの時、普通に答えていたら、合格していたのだろうか。ちょっと興味がある。受験生諸君、面接は、余分な力を抜いて取り組みましょうねというお話でした。


入塾説明会

 1月27日(日)に入塾説明会をしますが、2時からの部があと1人か2人でいっぱいになります。(保護者または本人のみで来られる場合と親子で来られる場合があり、人数が読み切れません)そこで、4時からの部と午前10時からの部も作ることにしました。
 説明会の内容は「塾の説明」「質疑応答」がメインで、約1時間程度で終了の予定です。入塾されることになれば、手続きのときに懇談をしますので、説明会では個別の懇談はありません。ただし諸事情により、個別の相談をしてから入塾をするかどうかを判断しようとお考えの方は、「塾の説明」「質疑応答」後に1時間弱の時間が取れますので、残って下さい。


「5.32 余分の力は抜こうぜ」


 錦織圭の3Rの相手はロシアのドンスコイということで、どんな大柄な選手だろうかと思って見てみると、意外にもこれがすらっとした好青年でした。ところが見た目はそうでも、テニスはやはり強力なフォアハンドを武器にド(ン)スコイ、ド(ン)スコイと攻めて来るので、どうなるのかと心配しましたが、錦織はさらにその上を行き、ストレートセットで勝ち切りました。これでベスト16です。遂に日本からも待望久しいすごい選手が出て来たのです。42才の伊達公子の頑張りもそれなりに感動ものですが、何と言っても若者の活躍は未来を明るくしてくれます。未来を担う若者を応援する稲荷塾としても嬉しい限りです。
 さていよいよ明日、明後日はセンター試験です。受験生たちには自らの未来を切り拓いて行ってほしいので、今日は「塾長奮闘記」から応援歌をお届けします。

「5.32 余分の力は抜こうぜ」
 1993年入試でファイター三木が京大工学部に合格した話を「小さな数学塾のヒミツ」の「復習ノートの勧め」のところに載せた。ちょっと長くなるが、まずこれを見ておこう。

 1992年春、高3のクラスに三木という大男が入ってきた。「僕はクラブばかりやって来ましたから今の成績は悪いですが、これから頑張ります! 」志望校は阪大だと言うが、とても1年で届くとは思われない状態だった。しかし妙に愛嬌があってガッツもありそうだから、私は「頑張れよ」と言うしかなかった。しばらくして授業が始まると、こいつが体をゆすりながら爪をかむ癖をもっていて、加えて大柄だから目立つと言えばこの上なかった。ある時、私は彼のノートの取り方が変なのに気付いた。顔を前に向けたまま字を書き続けているのだ。近付いてみると何が書いてあるのか全く分からないようなぐちゃぐちゃのノートを発見した。「そらあかんやろ」の声に、やつはにんまり笑って「復習ノート」を取り出したのだった。それは、ぐちゃぐちゃの板書用ノートの中から彼にとって必要なことだけを抽出して整理した内容になっていた。
 その後、三木の成績はどんどん伸び、夏ごろには「阪大じゃもったいないやろ」という段階に入るようになった。さらにその成長は止まることなく、結局京大の工学部機械学科に出願することになった。当時の工学部はたくさんの小さな学科の集合体で、例えば今の物理工は航空、機械、金属、材料などを統合して出来上がったものだ。 … 工学部の中では航空が最も難しく、京大の名前だけが欲しい者は大概「石油」に出願した。石油は、競争率はいつもトップで、合格最低点は決まって一番下という学科だったが、機械は人気が高い方で第2グループの1つとなっていた。
 2月の初め、ある友達が三木に尋ねた。「お前、後期はどこに出したん?」三木答えて曰く「まだ分からへん、多分、金属にすると思うけど … 」ちょうど私もその場に居たのだが、三木が何を言っているのか全く理解することが出来なかった。聞いた友達も「どういうこと?」とけげんな表情。三木は、前期と後期を同時に出願しなければならないことを知らなかったのだ。(2007年から京大は前期のみ、1回の受験機会となったが、それまでは2回の受験チャンスがあった)
 これは、結果の話になるが、この年「機械」が高騰し、「航空」をはるかに超えて合格最低点は680点を突破した。最近の工学部の最低点はずっと500点台で(2009年は400点台後半だった)、680点を取って落ちる可能性があるということをなかなか信じてもらえないようになったが、そのぐらいこの年の機械は難しかったのだ。そこに一発勝負で挑んだ三木は、前期が終わってすることがなく「先に滑って来ます」とスキーに出かけた。受験当日も河原町から京大まで走って行ったというこの体力のあり余ったファイターは見事合格した。

 この中で「お前、後期はどこに出したん?」と三木に尋ねている男が登場しているが、こいつは福田と言って、今は任天堂で働いている。ゲームを作っているのだが、数年前からはアメリカ勤務になっている。(2011年に帰って来た)彼は、元々は航空を志望していて、成績は常に三木より上だった。しかし最後の最後に安全策を採って、航空をあきらめて機械に出願することになったのだが、それが裏目に出た。680点も取ったのに不合格。もし航空に出していたとすれば受かっていたのだから皮肉なものだ。私もまさか福田が落ちるとは思っていなかっただけにショックだったが、その後の1年間、彼にあと2人の浪人生を加えて個別指導したことが稲荷塾の出発点になったのだから、不思議な縁だと言うしかない。ただし、この個別指導は私が勤めていた塾の教室を借りて、勤務時間中の空きコマを使って無料で行ったので、私が熱心にすればするほど教室長の反感をかうことになった。初めは浪人してしまった元塾生をケアーするということに好意的だった上層部も、すべての授業が終了した後、9時を過ぎてからするようにという指示を出したり、さまざまな嫌がらせをするようになった。その不条理に耐えられなくなった私は上司とけんかをして、翌年予備校に移ることになった。
 さて福田達との授業だが、これはとても楽しかった。現役のときに既に並みの合格者以上の実力を持っていた福田だったし、他の2人もすぐにそのレベルに追い付いて来たので、通常の授業ではなく、大学への数学(数学専門誌)の学力コンテスト(難問で有名)などを使って、よ~いどんで解き比べなどをした。彼らは京大オープン模試や京大実戦模試の成績優秀者の欄に名前が載りまくっていたし、特に何かを教えなければ合格できないというわけではなかった。だから私が気を付けたことは、彼らのモチベーションが下がらないようにすることだけだったと言ってよい。そういう意味で彼らとの勝負においては常に圧倒的な力の差を見せつけ、彼らにもっと頑張って勝ってやろうという気持ちを維持させることが大切だったのだ。
 当然の如く彼らは京大に合格し、私はと言うと予備校講師として新しいスタートをすることになった。しかし、予備校講師1年目はあまり楽しいものではなかった。それは関西学院大学卒業というだけで、京大出の講師達の下請けのような仕事をさせられることが多かったからだ。こんなにも学歴で人が評価されるような職場も少ないのではないかと思うが、この世界で生きて行こうと思うなら、何が何でも京大を出ていないといけないという事実を私は身をもって知ることになった。
 予備校講師の生活は結構忙しかった。昼間は浪人生、夕方からは高校生のための授業があり、模擬テストの問題の作成や、テスト後の採点、それにテキストは毎年改訂されるので、その雑務もかなりあった。それに加えて特に1年目は親しくなった国語の講師S氏から仕事の誘いを受け、それが大変だった。何でもZ会が通信添削の業務とはまた別に、塾と予備校の中間的な存在としての京大マスターコースという塾?を立ち上げようとしていて、そのための人材集めをS氏が任されているのだということだった。だが、S氏の構想は、国語は自分が担当し、数学は私、英語はTさんがそれぞれ一人で担当し、たったの3人で出発するというものだったものだから、テキストを作ったりするような仕事のほかに、コース案内の文章を考えたりするような雑務などもあり、本当に激務だった。しかしそれらをこなしつつ、私は自ら京大を受ける準備も進めていた。
 物理、化学は前職の塾講師をしていたときにそれらのクラスを担当していたので、基礎はできていたし、英語も京大の英語なら、「読め、訳せ」以外の細かいことは一切問わないから大丈夫だということで、落ちる要素は全くなしと判断していたが、センター試験だけは心配していた。京大理学部の場合、センター試験で足切りのラインが設定されている。低い基準ではあるが、社会や国語で点数を落とし過ぎるとまずいことになるのだ。社会は地理で受けようと思っていたが、12月に入ってセンターのための勉強を始めてみたところ、とても間に合いそうにないことに気付き、急遽、倫政(倫理と政治、経済のこと)に変更した。政治経済は覚え切れないと思ったが倫理は感覚で何とかなった。何と言ってもそのとき既に35才のおじさんだっただけに、一応の常識があったと言うことができる。(じゃあどうして政治、経済はできなかったかと言えば、それはまあ … 問わないでほしい)国語の中で漢文は比較的短時間で点がとれるようになった(S氏に勧めてもらった本が良かった)が、古文は絶望的だった。だからこそ古文には一番時間を費やして勉強したのに、本番で時間配分を誤り、古文の問題の本文を読んでいる時間がなくなってしまった。一か八か問いだけを読んで解答した結果、はじめの2問しか合っていなかった。選択肢に流れがあって、これはひょっとして全問正解か? と期待されたが、途中から本文の主張が変わってしまうということだった。残念。一体古文にかけた時間は何の意味があったのか?! まあしかしセンター試験による足切りを免れて、2次試験を受けることができるようになって本当によかった。通常、大学入試ではセンターの得点と2次の得点を合計して合否が決定されることになるが、京大の理学部はセンター試験を足切りのためだけに用い、それをクリアした者には、2次試験の点数だけで合否を判定することになっている(2013年からセンター試験の点数も加算されることになった)。これでもうこっちのものだと私は思った。
 しかし実際はそんなに甘いものではなかった。試験会場では何が起こるか全く予想がつかない。たとえば、センター試験をこっそりと目立たないように受けるつもりだったのに、予備校の生徒に見つかってしまい、「偵察ですか?」などと休憩時間のたびに入れ替わり立ち代り集中力を乱す「声かけ攻撃」を受けることになってしまった。また、センター英語は配点の大きい6番の長文から解くと決めているのに、試験開始直後に「6番に訂正があります」と試験監督が言ったかと思うと、くそていねいにちんたらちんたらと黒板に訂正を書いて行くということもあった。これにはかなりイライラさせられた。しかし、こんなのは序の口で、2次試験のときには、京大の先生と思われる暇そうなおじさんが、私の座席の横に立って私にお尻を向けながら掲示物を読み続けるという事件が起こった。本人にしてみれば退屈しのぎなのだろうが、こちらはたまったものじゃない。顔からわずか50cmぐらいのところにお尻を据えられて、ゆらゆらされたのでは神経が擦り減ってしまう。おそらく15分程度のことだったのだろうが、私には1時間以上の苦痛に感じられた。よっぽど鉛筆で突き刺してやろうかと思ったが、何とか思いとどまった。
 このような不測の事態が何も起こらなかったとしても、試験会場では極度に神経が高ぶっており、目を閉じると瞼に血の流れが見えるぐらいの状態になっている。これでは力の半分も出せないというようなことが起こりうるのだ。まずは目を閉じて呼吸を整える。そして静かに目に話しかける。「リラックスして … 、リラックスして … 」目の緊張が解けて来たなと思えば、今度は肩だ。「力を抜いて … 、力を抜いて … 」これで相当に闘える状態に近付くが、まだ至るところに危機は潜んでいる。
 私が直面した最大の危機は運だった。2次試験の数学、ここで点数を稼いでおかなければならないのに1問目でつまずいてしまった。方針は正しい筈なのに、計算が泥沼に引きずり込まれるように複雑になって行くのだ。大分こねくり回した挙句、これをあきらめて2番に行ったときにはかなり焦っているのが自分でも分かった。難しそうな整数問題で、全くひらめかない。これをスキップして3番に取り組んだが、簡単な筈なのにこれが処理できない。頭の半分ぐらいはまだ1番のことを考えていたのだと思う。こうなるとどうもいけない。何とか1問だけでも解いて落ち着きたいのだが、4番、5番、6番、結局まるで何も見えない。全滅だ。もう半分以上の時間を使ってしまっているのに、たったの1問も解けていない。私は呆然として敗北の言い訳などを探していた。福田に「今度はお前の後輩になるわ」などとしゃべっていたことが後悔の念として押し寄せてくる。これはもう17年も前のことなのに何を感じ、何を考えていたのかのかが鮮明に思い出されるのだから、相当に追い詰められていたことが分かる。たった1つの計算の処理方法を思いつかなかったという不運の故に、すべての歯車が狂ってしまったのだ。
 ところが私を救ったのも、まさしくその同じ運だった。2番の整数問題の解法が突然見えたのだ。解きながら「これは難しいなあ、まずほとんどの受験生には無理だろうな …」などと感じたことを思い出す。おそらくこの瞬間に本来の自分に戻ったのだろう。怒涛の反撃で1番を残すあと5問を完答してしまった。そして冷静になってみれば、あれほどてこずった1番の計算も大したことではなかった。あと2行ほどで満点になるというところまで来てタイムアウトにはなったが、これで十分過ぎるほどに点数を稼ぐことができた。
 私の受験番号は4番だったが、1、2、3番の子が落ちていたから、合格発表の掲示板の紙には一番右に自分の名前が印刷されていた。今は個人情報がどうのこうのということで受験番号だけが張り出されることになってしまったが、名前が出るのもなかなかいいものだと思う。しかも一番右は良い。「俺の右に出る者はいないのか?」なんて好き勝手なことも言えるし。1才の娘を抱っこしながら見に行った合格発表はとてもいい思い出だ。
 そして予備校での待遇もがらっと変わった。Z会の京大マスターコースもうまく立ち上がって、さらに発展して行く中で、常に一番いい仕事をもらい続けることができた。これらの経験が稲荷塾の基礎になっていることは言うまでもないが、その基礎の基礎として、京大を受験したこと、そして結果としてそのきっかけを作ることになった福田達の個別指導等を思うとき、まるでドラマでも見ているのではないかと思うほどの幸運に驚かざるを得ない。今回は益々受験本番が近付く中で、自分自身の受験体験を振り返り、その周辺のことを書いてみた。


訂正

 左肩を痛めてから2ヶ月半ほどになりました。そのうちに治るだろうと思ってほっておいたのですが、だんだん痛みが激しくなり、遂に昨日整骨院で診てもらったところ、捻挫だと診断されました。それも結構の重症で、回復には最低半年はかかるだろうと言われてしまいました。ショックです。それでも今日は気を取り直してトレーニングをしにジムへ行って来ましたが、痛みが出ないトレーニングを選ばないといけないので、メニューの半分ほどしかこなすことができませんでした。しばらくは耐えて行くしかなさそうです。
 さて先日、1月19日号のリビングに取材広告が載ることをお知らせしましたが、今日その見本が届きました。ところがそれを読んでみると、「同塾では4月から始まる新規クラス生を募集しています」と書いてあります。これは誤りで、正しくは「3月11日(月)から始まる新年度の新規クラス生」です。なお1月19日号リビングは、場所によっては明日1月18日に届きます。長岡京市近辺にはチラシも折り込まれますので見て下さい。

「5.21 3つの円の交わりを探せ!」


 稲荷塾を卒業した後もチューターとして塾の運営を支えてくれた卒業生から、稲荷塾のミッションについて書き込みがありました。
 「稲荷塾にお世話になり始めてから約6年、今まで稲荷塾のミッションを知りませんでしたが、すごくグッときました。『世界的で歴史的な貢献』、まさに次世代を造っていく若者たちが、意識しないといけないことだと思います。社会人になる前に、改めて自分の生き方のスタンスを考え直せたので、この言葉に出会えてよかったです。」
 このコメント自体は嬉しいのですが、チューターまでしてくれていた、つまり塾の考え方をよく理解してくれている筈の卒業生が稲荷塾のミッションを知らなかったと言っていることにについては、伝える努力が足りなかったのだなと感じさせられました。
 そんなことを思いながら過去の「塾長奮闘記」を振り返ってみると、約2年前、まだミッションステートメントができる前に書いた「稲荷塾のミッションについての記事」があったので紹介しておきます。

「5.21 3つの円の交わりを探せ!」
 息子の勧めで開高健の「オーパ」を読んだ。オーパとはブラジル語(ポルトガル語?)で、驚きを表すときの言葉らしい。本の内容はその如くで、まさしくオーパだった … 。開高健がアマゾンの奥地に分け入って釣りをしたときの紀行文なのだが、それは私と息子の目標とも一致し、参考にすべき実際的なことが多く書かれていた。だからこそ「読んでおくように」との指令があったのだと了解したが、同時に、いやそれ以上に何かすっきりしないと言うか、心の奥底に封印していた疑問にじわりじわりと迫って来るような重苦しい雰囲気に飲み込まれてしまった。これは一体何なんだろう?
 開高健とは少し距離を置いておくべきだとの心のささやきもあったが、気が付いたときには開高第2弾「フィッシュオン」を読み始めていた。その最初のページに「都会は石の墓場です。人の住むところではありません … ロダン」と出ている。いきなりの波乱含みだ。数ページ読み進めると、アラスカを皮切りにヨーロッパ、アフリカ、中東、東南アジアの各地で釣りをして周るというこの本のテーマというべき旅の、その出発の動機について触れている部分に行き着く。少し長くなるが引用してみよう。 --- 去年の晩秋頃から冬いっぱい、そして今年の春おそくまで私はとらえようのない憂鬱症にたれこめられて、はなはだしい衰弱に陥ちこんでいた。私の場合にはその発作は珍しいことではなく、小さいのはいつでもサイクルをつくって巡ってくるが、大きいのはここしばらくあらわれなかったのである。人と会ったり話をしたりするとき私はにこやかに談笑できて正常そのものなのだが、そのあとでひとりになると、たちまち人や物や言葉から地崩れを起こしてすべりおちてしまうのである。 … 中略 … とらえようのない焦燥と憎悪にみたされたまま、部屋のすみにウイスキーを吸いこんだ海綿のかたまりとして落ちているしかなかった。今回のがそれであった。いわゆる「ブランク」でないことは、かなりわかっていて、むしろ私は発作と意識していた。 --- 忘れかけていたこの落ち込み、私も若い頃しばしば鬱状態に陥り、自分は限りなく病気に近いと自覚していた。もちろんこんなことは人に言えるようなことではなく、言ったとしても分かってもらえるようなことではないので、黙ってその時期をやり過ごすしかなかったのだが、今その状態をあまりにも正確に表現している文章を目の前にして、俺もこうだったんだと叫びたい気持ちになるし、ひょっとしたら誰でも同じように心の空洞を味わうことがあるのじゃないかとも思えて来る … 。
 そんなことでこの1ヶ月ほどは新しい章を書き加えるような気分になれず、心の淵をさまよっていた。しかし、父の四十九日に叔母のひとり(父の3番目の妹)と話したことがきっかけで、我が魂は現実の世界に呼び戻されることになった。この叔母は75才だが、とてもその年には見えない。すらっとしていて、和服をかっこよく着こなし、いわゆる純日本風美人だ。言葉は少なく、すべてに控えめだが、何故か惹きつけられる。「○△ちゃんだけはいつまでもきれいやなあ」親父の妹ということで、小さい頃から名前で呼んでいるので「○△ちゃん」と言っても違和感はない。「まあっ … もうおばあちゃんよ」 … このときは叔父の仕事のことが話題になった。それまで仕事の話などしたこともなかったが、実は叔父はかなり有名な英語の先生だ。元々は高校の教師だったが、あるところからは個人で個別指導をするようになり、2年前に引退するまでそれを続けた。京大の赤本を書いているぐらいだから、この業界では評価されている方だ … 。大体このぐらいが私の知っているところだったが、今回はちょっと突っ込んだ話になった。この日、叔父の具合が悪く、来ることができなかったので以下の情報は叔母によるものだが、叔父の指導料は2時間で6万円だったそうだ。「えっ ?!」まずその金額に驚いた。通常予備校講師が個別指導をする場合、時給の相場は1万円だ。1回2時間で月4回とすると、月8万円になるが、一般のサラリーマン家庭からするとこれ自体が高いと感じるのではないだろうか。ところが叔父の場合、同じ条件で月24万円 … 。さらに驚いたのは、いつも満席だったということだ。これだけのお金を教育費にかけることのできる家庭はそんなに多くないと思われるのに、いつもフルタイムで仕事をしていたと言うのだ。「必ず、マンツーマンでしか教えなかったこともあるけれど、日曜日も午前、午後、夕方の3回に分けて3人の生徒をみた、年中休みはなかった」と叔母は言っていた。
 う~ん、これはすごい。果たして自分は「私の授業は2時間で6万円です」と言えるだろうか? また、仮に言ったとして、どれだけの人が「分かりました。よろしくお願いします」と言ってくれるだろうか? 「マコちゃん(私のこと)も同じやろ、英語を教えるだけではこれだけのお金はもらえへんで」古文や漢文、場合によっては歴史の話をすることもあるし、そこに魅力がないといけない、何よりも本人自身が学問を楽しんでないといけない … という話もあった。叔父の生徒の多くは東大理IIIや京大医学部に進んだそうだが、そういうレベルの子であるが故に味わいの違いを感じ取ることができたとも言えるし、しかしそれでも、そういうレベルの子を引き付け得た話術とは一体どんなものだったのだろうかと、想像しただけでも今の私では及びもつかないものであることを感じた。
 およそどんな分野でもトップに近付けば近付くほど1%にも満たない差を競い合うようになるものだ。そしてそのわずかな差が大差となるのだ。0.1秒の差でボルトが世界一になったとして、2位の選手をどのぐらいの人が記憶しているだろうか。そのように考えると並みの予備校講師の時給が1万円だとして、叔父の授業による効果が3倍だから時給も3倍だというふうにはなっていないことは明らかだ。しかしそこにわずかの差を見出したとき、3倍出しても惜しくないということが起こるのだと私は解釈した。
 授業の質、人間の魅力という面では、これはどこまでも追求し続けなければならないテーマだ。何となく、経験を土台に習慣的にやってしまうことも多いが、今回私と同じ授業という土俵上に、はるか先に進んでいる人が身近にいたことに気付き、気持ちを新たにさせられた。だがそれに加えてどの舞台で闘うのか、どこに向かっているいるのかということもまた大切な要素だ。叔母と話したことで心はすっきり前向きに修正され、授業のあり方から始めて塾自体の目指すところを考え直す機会をもつことができたが、こういう何かをリセットしたいときに頼りになるのはいい本だ。そのときそのときのニーズにより、選ぶ本は異なることになるだろうが、何回読んでも新たな発見を与えてくれるような本はありがたい。私の場合もこれは! という本を何冊か準備している。もちろん「小さな数学塾のヒミツ」もそのうちの1冊だが、今回選んだのはビジョナリーカンパニー②飛躍の法則(ジェームズ、C、コリンズ著 日経BP社)だ。その中に「針鼠の概念」というものが出て来る。情熱を注ぐことのできる分野、世界一になることのできる分野、経済的原動力となることのできる分野、この3つの円の交わりの部分を見付けて、愚直にそこに投入すべしというのがその内容だ。この本は偉大な飛躍を成し遂げた会社を調査し、その共通事実を探り出したという点で画期的で大変なベストセラーになった。私も自分が読んだ本の中からベスト10を上げよと言われれば、迷わずこの本もその中に入れるだろう。非常に強い衝撃を与えてくれた一冊だが、何を間違えたか3つの円のうちの1つを「その業界で上位10%に入れる分野」と記憶していて、それでも高い基準だと思っていた。しかし最近読み返してみて「上位10%」ではなく「世界一になることのできる分野」と書いてあるのを発見し、思わず絶句。世界一か … 。
 稲荷塾は各界の最前線で活躍する人材を輩出することがその目標だ。特に理系の研究分野で世界をリードして行けるような研究者が育ってほしい。それが私の夢だ。決して「就職に有利になるように、いい大学に入りたい」などと思ってほしくはない。それ相当の努力もしないで「分からない」というような生徒には情熱が湧かない。逆に高い理想に向かって努力する諸君には、一味違った授業を提供できるように最善を尽くしたい。





英語クラス開講案内

 センター試験の日程は成人式後の最初の土日になっているので、今年は19日と20日ですが、去年は14日と15日でした。つまり去年の今頃はセンター試験も終わっていたわけで、まさに直前期突入です。
 それと同時に塾は新年度生の募集期になり、私の心も普段よりは張り詰めた状態になっています。そんな時期に英語クラスを作るといったような新しい企画を考えるのは、常識的ではないのでしょうが、この常識的ではないというところがかえって私をひきつけます。…結論を言えば、3月11日開講で、英語クラスを作ることに決めました。以下に大体のアウトラインを書いておきます。
 授業日は月曜日5時半から7時
 対象は中3から高2の英語学習に意欲的な生徒
 定員は7人(そのうち1人は私です)
 担当は私の友人の奥さんでYasukoさん(日系アメリカ人)
 特徴は英語で授業をすること
 目標は1年を目安に英語が聞けて話せる、つまり英語で議論ができたりディベートができるようになること さらに一般の英会話スクールのように「聞く、話す」に偏ることなく、「読む、書く」も鍛え上げ、受験英語は問題じゃないと言えるレベルにまでもって行く予定です。
 まだ確立されたノウハウがあるわけではないので、不安材料もありますが、必ずいいプログラムを作るという意欲に燃えています。
 なおYasukoさんは日本の中学で英語を教えた経験もあり、とても魅力的な人です。
興味を持たれた方は連絡をお願いします。

伊藤竜馬(たつま)勝つ!


 今日は友人家庭が遊びに来て、5時間ぶっ続けで話をしました。この友人、私より5才年上ですが、子供はまだ5才で、子育てはまだこれから山あり谷ありということになるでしょう。子育ての話に始まり、どのように生きて行くべきかとといった、もっぱら超真面目な題目について激しく議論しました。とても楽しかったですが、同時にとても疲れました。
 そのほかはwowowでテニスの試合を観て過ごしました。今日から全豪オープンが始まったのです。まず日本のエース錦織君が実力を発揮して勝利を収めました。1stセットをタイブレークで落としたのですが、安心して観てられるような試合運びで、さらに強くなったという印象です。特に課題だったサーブが良くなったと思いました。 
 もうひとつ観たのは伊藤君の試合でした。伊藤君は大阪テニスアカデミーで活躍していた頃から知っているので、日本を代表するプレーヤーになった今も、何だか身近な選手であるように感じます。試合は最初に2セットを取ったにもかかわらず、足の痙攣で2セットオールに追い付かれるという嫌な展開になりました。そしてファイナルセットもリードしてはイーブンに戻され、リードしてはイーブンに戻されを繰り返す重い流れが続き、実際上だめだなと思った瞬間もありましたが、根性で勝ち切りました。よぉ~っし!思わず私も雄叫びを上げていました。  
 また明日から仕事モードに戻したいと思います。



「5.14勝負観」

 英語で言いたいことがどんどん言えるようになるためには、森沢洋介さんの「瞬間英作文」で勉強するのがよいと教えてもらったので、昨日夕方アマゾンで注文しました。すると何と、それが今日の午前中に届いたのです。アマゾンってすごいですねぇ。これで本当に英語がすらすらと出て来るようになるのかどうかは分かりませんが、このようなトレーニングが必要だということには納得です。しばらく頑張ってみようと思います。
 お昼には卒業生が遊びに来て、昼食を一緒にとりました。どうも今の仕事がしっくり来ていないようで、将来に不安を感じているようでした。私は稲荷塾のビジョンを熱く語りながら、転職することになったらウチに来るようにとちょっぴり、いやたっぷり勧めておきました。
 午後は三菱電機のコートで、そのコートの主とも言える方とテニスの練習をしました。金曜日に「ニッシーレッスン」があったばかりなので、体がばらばらになりそうです。しかし若者たちを引っ張って行くためには、自らも若くなければならないと思うので、挑戦あるのみです。
 今回は塾の歴史と西村コーチの紹介を兼ねて、「塾長奮闘記」より「5.14勝負観」を載せます。
「5.14勝負観」
 新規のスモールビジネスのうち9割は初めの5年間でつぶれるそうだ。その最大の理由は資金繰りがうまく行かなくなることにあるそうだ。そして残ったうちの9割が次の5年間のうちに消えるらしい。今度の理由は、うまく回り始めたビジネスがマンネリに陥り、その勢いを失うことにあると言う。結局最初の10年間を生き延びるのはわずか1%に過ぎないということになるのだ。それは特に飲食店を見れば、本当にその通りだなと納得することができる。できては消え、できては消えを繰り返しているのを身近に実感することができるだろう。素人目にはうまく行っているように見えるところでも突然閉店になってしまうことがしばしばだ。
 稲荷塾はというと1993年に、当時私が勤めていた塾の生徒で受験に失敗した3人を個人的にめんどうをみたのが出発点になってはいるが、正式に塾として体裁を整えたのは1997年の春なので、そこから数えると、現時点で13年半が過ぎたことになる。つまり生存率1%の狭い門を潜り抜けたことになる。しかしこの仕事は、毎年生徒の顔ぶれは変わりはするものの、教える内容自体が大きく変わるわけではなし、普通にやっている分には何か新しいことにチャレンジしなければならないというわけでもなしということで、マンネリ化してしまって新鮮な気持ちと情熱を失ってしまう要因はいくらでも転がっていると言うことができるのだ。
 だからこそ、中2から高校数学に入るという新しいカリキュラムを考えたり、小学生部を作ったりと、新しい企画を捻出し、それに対して挑戦的に取り組むということがとても大切だと思うのだ。もちろんそれにはリスクがある。進化のために旧体制を壊さなければならないこともあり、将来の発展のためとは言え、そのために大きなダメージを受けることもあるのだ。… 思い返すとあれは「中2から高校数学」のカリキュラムが有効であるかどうかを試し始めて2年目のことだった。その年の数IIBのクラスは非常に優秀だった。順当に行けば京大に入れそうな4、5人を中心に全体のレベルも高かった。ところが問題は彼ら高1グループ以上に中3のH君の方がもっと優秀だったことだ。H君は「中2から高校数学」のカリキュラムを実験するために作った特別クラスに在籍していたが、私が一人で授業を担当している都合上、特別クラスと言っても別枠のクラスを設けることができず、彼は既存の数IIBのクラスに混じって授業を受けていた。そこに問題が生じた。中3のH君が優秀な高1生達をしばしば出し抜いたのだ。さらに悪いことに高1生のうちの2人は、H君と同じ学校の軟式テニス部の先輩だったのだ。稲荷塾ではテストの結果は順位、点数、偏差値まで分かるようにして、全員の名前入りの表にして返却することにしている。私はまずいなと思いつつ、H君が上位にランクされている表を採点済みのテストと一緒に配らざるを得なかった。先輩達が不快に感じているのは明らかだった。その他の点では授業もやり易く、楽しいクラスだったので、何とか持ちこたえてくれるようにと念じつつ、1年間をやり過ごしたが、次の年の年度の変わり目に優秀だった高1生達が申し合わせたように一斉に退塾すると言い出した。ある意味では当然の結果だったが、彼らに期待していただけにショックも大きかった。運営上でも苦しい状況に追い込まれた。だが、こういったリスクの代償として「中2から高校数学」をメインのカリキュラムにすることには成功することができたのだった。もっとうまいやり方があったに違いないが、それが見えなかった自らの実力不足を反省しつつ、改革にリスクがつきものであることを受け入れるべきだ。それを恐れていては何もできないし、何もしないということは、それがマンネリ化を生み、結局それ自体がより大きなリスクになってしまうのだ。だから思い立ったことは断固実行すべきだと信じている。
 今回、本(驚きの東大合格率 小さな数学塾のヒミツ)を書いたのもその一貫だったし、それは私にとっては何もかもが初めてのこと尽くしの刺激的な体験だった。… まず、出版社のホームページを開けてみると、原稿や企画書を募集しているところが多いので、手当たり次第に送ってみることにした。しかし、原稿を送れと言われる分には送ればいいのだから気が楽だが、企画書となると何を書いて良いのかすら見当もつかず、そこから勉強を始めなければならない。先方にアピールする内容でなければならないけれども、同時に自己満足だと思われてもいけないので難しいところだ。何回か書き直し、人に見てもらえるのではないかと思われる文書を作って送付してみた。しかし、返って来る返事はどれも「今回は見合わせます」といったものばかりだった。上に出て来たH君も、今では府立医大生になっていてチューターとして塾を手伝ってくれているが、「これは先生を知っているからおもしろいのであって、一般の人には読んでもらえないと思いますよ」というお墨付きをくれた。くっそ~! やっぱりだめなのか … 。ほとんどあきらめかけていたときに東洋出版の副編集長という方から電話があった。聞けばその方は将棋ファンで、特に文吾ちゃん(福崎文吾九段)のトークが大のお気に入りだということだった。そんなこともあって私が送った原稿を面白いと評価してくれているのだ。文吾ちゃんありがとう! 「文吾ちゃん」と気安く呼んでいるが本当は偉い先生で、彼が友達だったおかげで道が拓かれることになった。これが2009年の暮れの出来事で、その後も「出版に値する本」にするために石田さん(東洋出版副編集長)のアドバイスを受けながら、書き直したり書き足したりしながら、本の題名も最終段階でようやく決まり、2010年8月末、遂に出版にこぎつけた。この過程自体も新鮮な体験の連続だったが、何と言っても自分の本が本屋さんに並んでいるのを発見したときの喜びは何とも表現することのできないものだった。顔の筋肉が緩んでしまってどうすることもできなかった。
 そして今、新しい挑戦として土地を買って、「生活と切り離した塾だけのための建物」を建てようとしている。それは単に規模を拡大しようとしているのとはまるで違う。… 稲荷塾では「復習ノートを作ること」「復習ノートを活用しつつ、日々塾の復習を15分すること」を奨励しているが、これを実行すれば劇的に成績が伸びる。これは定期テスト前にクラブも休みにして詰め込みの勉強をするのと比べて、圧倒的に効率が良い。それなのにこの素晴らしい方法が実行できない生徒が多いのだ。その多くは「そうか!」と思ってやり始めるが、さまざまな障害にぶつかる中で継続できなくなって行くのだ。そしてそれが長く続くと、授業について行くのが難しくなってしまう。もちろん私としてもできる限りのケアーをしようと努めているが、物理的限界がある。それにできない子にばかり心を向けていると全体のレベルも下がるし、何と言っても楽しくない。これを改善するには、復習ノート及び復習の実行度合いを個別にチェックするための人材と箱が絶対に必要だ。ということで土地を探し、銀行に融資のお願いをするということになったのだが、実はこの計画には無理が多過ぎる。何故かと言えば、私には蓄えがないものだから、自己資金なしで全額融資をしてほしいというお願いになったからだ。常識のある家内からは呆れられていたが、どういう訳かこれが通ってしまった。
 しかし、通ったはいいけれど、ふと現実的に考えると「どうしよう、本当に返済していけるのだろうか …」という不安な気持ちが湧き起って来る。積極的になったり、消極的になったり、どうもすっきりしないまま西村コーチのテニスのレッスンを受けに行った。「場合によってはテニスもやめなあかんかと思っています」と簡単な状況を説明した後、不安な気持ちを口にしたときのコーチの言葉が凄かった。間髪を容れず「あかんで、そういう時ほど外に出て行かなあかんし、テニスかて、もっと勝たなあかん」。
 そう言えばコーチの試合を見ていると、ピンチのときほどアグレッシブなプレーをして不利な状況を打開するような場面が何度もあった。もちろん技術も凄いのだが、常人の域をはるかに超えた勝負観に驚かされる。私はその瞬間に腹をくくる決意をした。「よし、やるぞ!」


ニッシーレッスン


 テニスの西村コーチのことは「塾長奮闘記」の中でも何回か紹介して来ました。(「5.14勝負観」「5.15学びに対する情熱」「5.18本当に必要か」「5.22西村メール」「5.41圧倒的に頑張れ!」)西村コーチからはテニス以外にも多くの影響を受けていますが、そのレッスンの特徴は、「息が上がってから、なお頑張らせる」という一言で表現できると思います。これがしんどいわけです。私は第2と第4金曜日に西村コーチに個人レッスンを受けていますが、コーチのレッスンを「ニッシー(西村コーチの愛称)の3日殺し」と呼んで恐れています。レッスンを受けた後、最低3日は体のあちこちが痛く、何をするにも体がだるくて重くて、苦しみ続けるという意味です。事実金曜日にレッスンがあって、その次の日曜日に試合があったときなどは、初めから勝つことをあきらめなければならないときもあるぐらいです。
 これって凄くないですか?勝つためにレッスンを受けに来ている生徒を、勝てなくなるまで追い込むわけですから…。実は去日、その恐怖のレッスンがありました。そのおかげで去日は、階段の昇り降りがつらいぐらいに左膝が痛く、ストレッチとマッサージで何とか動くようになったかと思えば、今度は下痢です。今朝になっても治まりませんでした。そして今、お昼になってようやく闘志が戻って来たのでこれを書いています。しかしまだ考えがまとまらないので、昨日の「5.60稲荷塾のミッション」に対するFacebook上での書き込みから1つの情報を紹介するに留めておきます。…灘の中3生のこの冬休みの数学の宿題は英語で書かれていたそうです。


「5.60稲荷塾のミッション」

 このところ英語教育と作文教室の話題が続いていますが、これらについての考えを「塾長奮闘記」のエッセィにまとめました。これを共有してもらった上で、さらに英語教育についての議論を進めて行きたいと考えています。
「5.60稲荷塾のミッション」
 前回、大学が担うべき人材育成の使命と稲荷塾のミッションが深く関係しているというところまで書いた。事実「5.48ミッションステートメント」に載せている通り、稲荷塾のミッションは「世界的で歴史的な貢献をする人材を育成しよう」という言葉で表現されている。本題に入る前に1つ注意しておきたいのは「世界的で歴史的な貢献」であり、「世界的で歴史的な活躍」ではないことだ。私の最初の大学である関西学院大学のミッションステートメントは「Mastery fou service」だったが、校歌にもその精神は謳われており、折に触れて心の方向性を修正してくれる。これが稲荷塾のミッションに大きな影響を与えているのは間違いないだろう。
 さて、稲荷塾では小学生の間に中学数学までを仕上げて中1から高校数学に入ろうとしている。すると中学卒業時に高校課程を修了することになり、大学入試を考える上で圧倒的に有利になる。また、小学生の間に中学数学をやってしまうことについても、週1回1時間の学習でこれができてしまうことが、中学受験をすることに比べて、圧倒的に負担が軽いと主張しているわけだ。「圧倒的に負担が軽く、圧倒的に有利」、語呂がいいので宣伝のキャッチフレーズとしてはなかなかの出来だと思うが、そうすることで何がしたいのかということの方が重要で、それが今回のテーマだ。
 まず、「圧倒的に負担が軽く」から行こう。負担が軽ければ沢山遊ぶことができる。野球やサッカーのような団体競技も続けることができる。これだけでも人間の幅を作るという意味では大きな効果だと言うことができるだろう。しかしどうしてももう1つ付け加えておきたいことがある。それは沢山本を読んでほしいということだ。ある程度レベルの高い本も読むことができて、それを要約したり、自分自身の意見を相手に伝えることができるようになってほしいのだ。だがこのプラスアルファーには適切な指導者が絶対に必要だから、稲荷塾では経験豊富な先生の協力を得て作文教室を始めることになった。作文教室では、読解力を鍛えることから出発して、思考力を養い、作文を書く力をつけるまでのプロセスが見事にプログラムされている(「5.52作文教室開講」参照)。さらに中学生には小論文を書かせることにより、自分の意見を表現するための訓練が付け加えられる。こうして小中学生の間に国語力の基礎を作りたいのだ。
 決して、「負担が軽い」ということが「 楽をしよう」ということではない。そうではなく、もっと意味あることをしようということであり、将来にわたって伸びて行くことがのできる基礎を作ろうということが「負担が軽い」ということの真意なのだ。真剣であり、一生懸命であってほしい。
 ところで、日本では答えがある問題に素早く正解できると頭がいいということになっているが、実社会ではこのような能力は全く役に立たない。実際グーグルで検索して出て来るような知識が頭の中に入っている必要はなく、本当に必要なのは、ある程度の常識の上で新しい価値が創造できるかどうかという能力になるだろう。しかしこの役に立たない方の能力の有無で大学の合格者を決めようとしているのがセンター試験という制度であり、この弊害はかなり深刻だ。なぜなら、この無意味な競争に勝った者がいい大学に行き、日本の上層部に駆け上がっていくわけで、彼らが「答え」のない世界で、自分で考え、道を切り拓いて行けるのかどうかが分からないからだ。前回の「AIU」の中で中嶋さんによって語られている日本の競争力の低下とも関係している話で、これは今すぐ手を付けなければならない課題だ。 … なのに今日行われている中学受験というものは、センター試験そのままじゃないか? その証拠に受験日の翌日ぐらいに合格者が発表されるが、これは「答え」しか見ていないということだろう。こんな意味不明の「実力」を小学生に競わせて一体何がしたいのか、私には全く理解できない。
 次に「圧倒的に有利」について書こう。確かに中学卒業時点で高校課程を終わらせてしまえば、本当に圧倒的に有利な状況になる。あとはこれに磨きをかけつつ、クラブ活動をはじめとする楽しい高校生活を送ればよいと考えていた。中嶋さんの「学歴革命」と福原正大さんの「なぜ、日本では本物のエリートが育たないのか?」を読むまでは … 。これらの本ではコミュニケーションの道具としての英語力を身に付けることの重要性を訴えている。単なる英会話ではなく、コミュニケーションの道具としての英語力とは、「相当の英文が読める、英語が聞ける、英語で質問ができる、英語で自分の意見が述べられる …」ということを意味しており、グローバル化した今日の世界では必要不可欠な能力なのだ。すると、国語力の基礎ができ、数学の高校課程が終了する頃、つまり「圧倒的に有利」な立場に立ったときこそ、この英語力を修得するための取り組みを開始するべきなのではないだろうかと今は強く思う。
 しかしこういった英語力が学校教育を通してだけでは身に付かないのは明らかで、これができる場を作り、これを指導できる人を見つけなければならない。 … 実は私の頭の中には、有力な候補者が1人いる。先日メールしたときには「 I really don't have any extra time for other work for the next year or so. I am starting a new job in April next year. However, the English program at your juku is certainly something I would be interested in, in the future, depending on the conditions. 」という返信だったが、粘り強く交渉して、できるだけ早い段階でこのプログラムを開始したいと考えている。
 最後に、稲荷塾推奨の進学先を示しておきたい。理系ならば、まず東大か京大に行き、大学院からアメリカのトップ校に行くのがお勧めだ。そのコースが比較的に容易なのと、大学から海外に行くのは学費がかかり過ぎるというわけだ。それに対して大学院からだと費用がかからないことについては「小さな数学塾のヒミツ」の「頑張れFさん」の中で書いた通りだ。文系ならば、何と言ってもAIUだ。東大よりも京大よりも断然AIUが良いと思う。







第1回作文教室レポート


 昨日は記念すべき作文教室の第1回目でした。参加者は5時から6時までの部が4人で、6時から7時の部が5人でした(定員は各クラス6人)。初回ということで出だしは緊張した面もありましたが、すぐに打ち解けて楽しい雰囲気で授業は進んで行きました。
 授業内容を簡単に紹介すると、はじめに「作文の構成」の作り方の説明があり、次に生徒が構成用紙の空欄に思い思いのことを書き込んで行く作業に入りました。要領が分からずに、どうすればいいのかと戸惑っている子もいましたが、担当の小西先生は対話を通してどんどんと気付きを与えて行きました。そしていよいよ作文です。これには正直言って驚きました。小学3年生の子でも、あっと言う間にノルマの400字詰め原稿用紙1枚を突破しました。
 これはどうしたことだろうかと考えてみると、ひとつには「思考を表現するためのフレームが与えられたこと」の威力だろうと思います。いつも苦労しながらエッセィやブログを私が書いて来たのは一体何だったのだろうかとあっけにとられる思いです。もうひとつ感じたのは対話のうまさです。男女の違いはあるかも知れませんが、とても私のまねのできるレベルではないと感じました。
 そういうことで、この作文教室を通して生徒の国語力は間違いなく急激に伸びて行くことになるだろうと確信します。ですが、あまり人気が出過ぎて、入りたくても入れないということが起こらないように、対象生としてはあくまで稲荷塾の塾生(小学3年生から中学3年生まで)に限るとさせて頂きます。なお、第2水曜日のクラスがいっぱいになれば、第4水曜日のクラスを作りますが、それ以上は増やすことができないので、ご希望の方は早めに申し込んで下さい。

2013年度説明会

 2013年度の新規の生徒のための説明会は、1月27日(日)の2時から稲荷塾の3階で行います。説明会では塾の方針やシステムについての簡単な説明をした後、質疑応答を行います。1時間から1時間半で終了予定です。なお、満席になれば4時からの部を作ります。さらに4時からの部がいっぱいになれば10時からの部を作ります。
 人数調整のため参加をご希望の方は、必ずメールまたは電話でお申し込み下さい。メールはホームページからボタンひとつで送ることができます。また、塾の電話(075-201-6353)がつながるのは午後3時から授業開始までの間だけです。(土曜日は午後4時から9時で、日曜日は休みです)
 塾のチラシは1月19日号のリビングに折り込みます。折り込む範囲は大阪の島本町から桂坂までの間です。その他のエリアには折り込まれませんので、内容を確認することを希望される方はホームページを見て下さい。
 その他の媒体での広告としては、リビング1月19日号京都南エリア版に取材広告が載ります。さらに、1月21日の朝日新聞大阪北エリアと、日はまだ決まっていませんが京都新聞にも小さな広告が出ます。






英語教育のプログラム


 私が考えている英語教育のプログラムは、「1年もすれば大概のことが聴けて、言いたいことが言えて…」となるものです。英語圏だと3才の子供でもやっているようなことですから、きっといいやり方がある筈だと思うのです。
 このところ英語の勉強をしていると書きましたが、たとえばBBCのニュースを聞いてみると、悲しいことにほとんど聞き取ることができません。何の話題かがかろうじて分かる程度です。その筋の本を読んでみると、単語量が不足していると説明されています。知らない単語は耳には入らないというわけです。それでどの程度の単語量が必要かと言えば、1.5万から2万語だそうです。gee.
 ところがテニスプレーヤーのインタビューなんかを聞いてみると、知っている単語しか使っていないのに、何を言っているのか全く理解できません。「I's ah yeah I really think so …」なんてなしゃべり方でぺらぺらとやられたら、頭の回路が破壊されそうです。単語は増やして行かないといけないと思いますが、単語を覚えてから始まるというわけではないと思うのです。
 「何だ、稲荷さんも何も分かっていないんじゃないですか?」という声が聞こえてきそうですが、その通りです。何も分かっていません。ただ、気になっている方法が2つあります。1つは英語で英語を学ぶという方法で、もう1つは自分が関心を持っているところから入るという方法です。たとえば日記を書こうとしても「言いたいことがすらすらと出て来る」とはなりませんが、どう言えばいいのだろうかという疑問に助け舟を出してくれるような指導があれば、どんどんと身に付くと思うのです。つまり、どこでどんなふうに使われるかが分からない単語を覚えるのは苦痛ですし、興味がもてない文章を読んでも気持ちが入って行かないと思うのです。このような学ぶ側の心理をよく理解している先生が、英語で英語を教えたらどうなるだろうかと考えているのです。
 どうでしょう?きっといいやり方がある筈だと思いませんか?実際1年ほどの間に劇的に英語力が改善した例も身近にあり、それをパターン化して、英語教育のプログラムを作るということができそうな気がしています。
 しかし一から始めるのでは効率が悪すぎるので、既成の英語教授法をできる限り学ばせてもらって、それを土台にして出発できればいいなと考えています。いい情報をお持ちの方は是非教えて下さい。



「現実を視よ」柳井正


 柳井正さんの「現実を視よ」を読み終えました。こんなに広い視野と的確な観点をもち、こんなに大きな気概に燃えてビジネスをしていた人がいたんだ!…と衝撃を受けました。
 これから私は「この人を目指して行こう!」と決めました。
 柳井正さんの「現実を視よ」、断然お勧めです。
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「5.59AIU」


 いよいよ明日から新年の授業が始まります。受験生はまさしく直前期に入り、センターの結果がどうなるのかも気になりますが、気合を入れつつ自然体で、力を発揮してほしいところです。
 さて、このところ英語教育についての話題が続いています。これを考えるきっかけになったことを初めとして、今どのように考え、どのように取り組もうとしているのかをまとめたエッセィを2本書きましたので、順に紹介して行きます。
「5.59AIU」
 フェイスブックの「友達」に面白い人がいる。確か私より2つ年上で、お医者さんをされているが、仕事を引退してAIU:秋田県にある国際教養大学に入学する計画を立てておられるのだ。
 AIUはまだできて8年しか経たない新しい大学だが、人気が急上昇して入試における偏差値も東大に迫る勢いになっているらしい。何でも英語で全授業を行い、卒業のためにには1年間の海外留学が義務化されているそうで、非常にユニークな取り組みをしているという話だが、何とこれが公立の大学だと知ってびっくりしてしまった。国公立の大学でこんな思い切ったことができるなんてとても信じられない。 … この風変わりな大学に、もう50を過ぎたおじさん(失礼)が挑戦しようというのだから、それだけでもその惚れ込みようは半端なものではないが、しかも一時的な熱病の類ではなく、どうも本気のようなのだ。 … ウ~ム。
 いくらいい大学だと思ったとしても、何も自分が行かなくてもよいのではないかなどと訝っていたら、その方からプレゼントが贈られて来て、そのことでだんだんと私の見方も変わって行った。それはAIUの理事長兼学長の中嶋嶺雄さんが書いた3冊の本を含む15冊ほどの本達だった。その量にもぶったまげたが、次々に読み進めるうちに、次第に私自身も自分が熱病に感染して行くのを感じた。
 まず私が理解したことを中嶋さんの「学歴革命」から引用しながら共有したいと思う。 … 1990年代初めに東西冷戦が終了し、その後パソコンの普及と共にIT技術が急激に進歩し、世界は急速度で「グローバル化」した。ところが

1992年ごろが始まりで、日本がバブル崩壊を経て自信を喪失し、いわば後退どころか非常に落ち込んでいった「失われた20年」です。
 このグローバル化した20年間で、日本の大学はどういう対応をしてきたでしょうか。本当は大学、高等教育機関というのは世の中に先駆けて、最も進歩的な知を追及する、いわば知の共同体でなければいけません。にもかかわらず、大学がいちばん遅れていたのです。私はこの状況を「知の鎖国」という言葉を使って言い表しています。
 この1990年代初頭のまさにグローバル化が始まった時期に、日本の大学はそれと逆行するような政策選択をしました。ボーダレス化とIT化によって世界が一つになったというのに、日本の大学は国内だけに引きこもってしまったのです。

その結果、日本の国際的地位は下がり続け、経済も後退し続けたわけだ。そして

十数年前になりますが、シンガポールでアジア欧州会合の会議が開かれました。そのASEM主催で高等教育をテーマとするシンポジウムがシンガポール大学であり、私は基調報告を行いました。日本からは30名ほど文部科学省や各大学の先生、外務省や日本大使館の人などが大勢参加し、私の基調報告の後に討論のセッションがあったのです。全員では150名くらいの出席者があり、質疑応答が開始されました。しかし、この午前中の会議で結局、日本人の出席者は報告者の私以外誰も発言しなかったのです。
 その間に、主催国のシンガポールはもとより、台湾、中国、韓国、インドなどのアジアの人々が次々に質問してきました。
 壇上にいた私は日本人参加者にぜひ発言するようにと目配せしたり、シグナルを送って促したのですが、結局、誰も発言しませんでした。アジア太平洋大学交流機構の活動や日本の高等教育がテーマでしたのに、この場での沈黙は非常に残念でした。
 国際舞台で押し黙ってしまう日本のエリートたち。こういうところにも、日本の発信力の弱さを感じざるを得ませんでした。伝えるべき考えがないのか、英語で発言する勇気がないのか、私は内心、強い憤りを覚えました。

まさにその通り、これが日本人の弱点だ。そしてそれは早急に改善しなければならない。

グローバル時代の本質とは、「コミュニケーション革命」を個人の生活レベルでももたらすということです。外国人と一緒に生活したり、仕事をすることが当たり前になる社会では、理解し合うためのツールが必要です。それが英語なのです。

う~ん!
 中嶋さんは東京外国語大学の学長をはじめ、大学運営に関わる要職を歴任して来られただけに、その課題や問題点を知り尽くしておられるわけで、この人だからこそ成し得たAIUの試みであることがよく分かった。この人は本当にすごいし、AIUは本物だと私は思った。
 ここでもう一度中嶋さんの主張を要約してみよう。まず「知の鎖国」などという言葉が出て来るが、日本の現状は究めてまずいという認識が出発点になっている。グローバル化の流れから取り残されて行こうとしているというわけだ。次にその危機の本質は、文化背景や宗教の違う外国人を理解し、自分の意見を相手に伝えることのできるコミュニケーション能力が育っていないということだと論じている。そしてこれらの諸問題を解決して行く使命を担っているのが大学である筈だが、既存の大学が十分に機能していないのでAIUを作ったということになるだろう。
 実に素晴らしい。観点の鋭さだけではなく、全く新しい一つの大学を作り上げて行くその実行力は驚嘆に値する! … だが、1点だけ付け加えるべきことがある。それは、人材育成の使命を担っているのは大学だけではないということで、稲荷塾のミッションもそこに関係しているのだ。ただ今回は少し長くなってしまったので、その話は次回にまわそうと思う。


英語の勉強


 今日と明日は、息子が公立高校テニスの近畿大会に出場しています。これは団体戦で、昨年の京都府大会で優勝し、出場資格を得ました。私としては観戦に行きたかったのですが、息子からすれば仲間と自由にしているところを親に見られるのも嫌だろうと思い、ぐっとこらえました。
 ということで私は今日も英語を勉強しました。それも受験生並みに。しかしすればするほど自らの実力不足を感じ、焦ります。一応、趣味としてやっているのではなく、稲荷塾で英語クラスをすることになったとして、担当の先生(日本人ではだめだと考えています)と細かい打ち合わせができないと困ることになるだろうと想定してのことです。いっそユニクロのように社内公用語を英語にするぐらいしないとだめかななどと思いつつ、息抜きに本屋さんに寄ったところ、柳井正さんの「現実を視よ」を見つけました。
 まだ入り口しか読んでませんが、熱く、かつ説得力のある文章です。前作の「この国を出よ」(大前研一さんとの共著)には魂を揺さぶられるような感動を覚え、それが英語クラスを作ろうと思うきっかけのひとつになったのですが、この前作を膨らませたような内容になっているように思いました。


「5.52作文教室開講」


 昨日、英語クラスを作りたいと考えていることを書きました。これは本気です。しかし一体どこから手を付ければよいのか、現段階では全く見えていません。
 とりあえず、まず自分自身が英語を勉強してみようと思い、今日から始めましたが、はっきり言って苦痛です。何と言っても50を過ぎていますから…。
 そこで明るい材料を探してみました。年末に「塾長奮闘記」から国語教育に関するエッセィを3つ紹介しましたが、ひとつめの「5.37国語教師募集」を書いたのが去年の4月7日です。このときも「本気なんですか?」と冷やかされましたし、「稲荷さんが教えるの?」なんて聞いた人もいました(それをすれば詐欺です)。もちろん全く先は見えておらず、言っただけという雰囲気はありました。しかし約半年後、作文教室を開講することが決まったのです。そしてこの1月9日が記念すべき第1回作文教室になります。
 これと同じように、英語クラスも道が拓かれて行くことを期待しています。「求めよ、さらば与えらん」です。
 それでは、作文教室開講が決まったときのエッセィを「塾長奮闘記」から紹介しましょう。
「5.52作文教室開講」
 「5.37国語教師募集」で国語教育の重要さを熱弁していたが、遂に稲荷塾で作文教室を開講することになった。新しい試みを始めるときは常にわくわくさせられる。しかし何故「国語クラス」じゃなくて「作文教室」なんだろうか。実は私がこれを「やろう!」と決めたときの認識は、手を上げてくれた先生の専門がたまたま作文指導だったから、そうなったというものだった。つまり私自身に作文指導に対する特別の思い入れがあったわけではなく、ましてや「国語教育は作文指導から」といった信念があったわけではない。ところが今回、担当の小西先生から作文指導についての方針や具体的な方法論についての説明文、兼、保護者への挨拶文を送っていただいて、それを読んだ瞬間から考え方が大きく変わってしまった。ひょっとしたらこの作文教室こそが、稲荷塾における国語教育のベストフィットなやり方なのかもしれない。
 まずはその文書の中身を見てみよう。

 1月から作文教室を担当します小西です。作文を通じて、創造力のある子を育てたい、稲荷塾オリジナルの作文講座を作っていきたいという希望を胸に頑張ります。どうぞよろしくお願い致します。
 作文の勉強は、自分で考え、自分なりの考えを述べられる子を育てる勉強です。指導目標は、作文を通じて「読解力」「思考力」「作文力」の3つの力を育てることです。
1 読解力
 読解力には、2種類あり、1つは速さの読解力、もう1つは深さの読解力です。速さは多読で身につくので、読書をすることが大事です。深さは、精読によって身につき、難しい本を理解できるまで繰り返し読み込むことが必要です。
 作文教室では、読解力を身につけるために、読書と音読に取り組みます。
読書は、基本的に好きな本を読むとよいです。読書習慣がない場合は、1日30分と決めて読んでもらいます。いつも読みかけの本があるような生活が望ましいです。授業がある日は、読みかけの本を教室に持ってきてもらい、チェックします。
 音読は、1週間同じものを繰り返し読みます。教室に来たとき、次回教室に来るまでの間の音読教材を渡します。かなり難しい長文を選んでいるので、数回読むだけでは理解できないかもしれませんが、繰り返し読むことによって、理解できるようになります。毎日10分、繰り返し音読をする宿題を出します。朝ご飯の前とか、夜ご飯の前とかのように音読をする時間を決めて習慣にしてください。難しい漢字にしかルビをふっていません。読めない漢字はルビをふってもかまいません。
2 思考力
 思考力を身につけるためには、小学生のうちは、家庭での対話が必要になります。家庭でも、機会あるごとに、どう考えているのかを聞き、少しでも自分の考えを述べたらほめて認めてあげてください。私たちには自分から進んで言えないことがたくさんあります。「自分の考えを言いなさい。言わなければだめ」と脅さず、言葉足らずであっても、考えるように導いてあげてください。自分から進んで考えるためには、周りが対話を心がけ、楽しむ雰囲気を作ることが必要です。子供たちが毎日音読している教材や本をぜひ、話のネタにしてください。音読教材は、大人が読んでも深い内容のものを選んでいます。
「今週の音読はどんな内容なの? … へぇ、難しい内容をよく読んでいるのね。お母さんも考えるところがあったわ。今日ね、近所の山田さんと話していたとき聞いたのだけど、バターがお店にないらしいの。あったとしても、お1人様1個限りと書いてあったり、すごく高かったりするらしいのよ。今年の夏は暑かったでしょ。だから、牛が夏バテでお乳の出が悪かったんだって。小麦粉も値上りしたし、バターも品薄じゃ、パンやケーキの値段もあがりそう。パン屋さんやケーキ屋さんも大変だよね。猛暑って、いろいろなところに影響されているのね」
というように、長文の内容から身近な話をおもしろおかしく話してあげてください。どんなテーマであっても、親が自分なりに考えて楽しく話してくれることで、子ども自身も自分で考え、話す楽しさを身につけていきます。
 繰り返しの音読で、長文の内容を理解し、説明できるようになると、感想を述べたり、似た内容の話ができるようになります。誰かにわかってもらおうと話すことが、考える力をつける勉強になります。おもしろく話をして、じっくり聞いてあげてください。
3 作文力
 作文力は、毎週、作文を書くことによって身につけていきます。
 作文を書く前に、構成用紙を使って、作文の流れを考えます。構成用紙には、作文の流れの他に、入れる表現や題材、目標字数などを書いた項目欄があります。宿題で作文を書くときも、初めに構成用紙を読んで、項目欄を確認して、空欄をうめてから作文を書くようにします。
評価は、構成用紙に書いてある項目ができたら◎です。作文が書き終わったら、作文に大事な項目が入っているか確認して、構成用紙の項目欄に◎を自分で書きます。
 添削は基本的によいところをほめます。事前に指導したことを評価するというのが大事です。指導と評価が一致していれば、子どもたちは安心して個性的な作文を書くことができるようになります。事前に指導してないことは評価しません。評価する必要があった時は、次回に指導して、その後評価するようにします。家庭でも、子どもが書いた作文は、どんどんほめてあげてください。
 作文の勉強は、書く勉強と思われがちですが、土台となる読解力や思考力を養う勉強を並行して行う必要があります。子どもたちは、毎日、音読10分と読書をします。簡単なようで毎日続けることは大変です。温かく励ましてあげてください。
 また、作文の勉強は成果がでにくく、そもそも成果がでたのかどうかを評価しにくい面があります。そばで見ていて、不安になることや疑問がわくことも多々あると思います。第二水曜日は教室にいますし、それ以外の水曜日は電話での質問時間を設けていますので、気軽にお問い合わせください。
【作文の勉強の流れ】
第二水曜日 教室に来て、説明を聞いたり質問をしたりした後、教室で作文を書く。
      次回、教室に来るまでの課題をもらう。
   ★持ってくるもの  ファイル(初回に渡します)・読みかけの本・筆記用具
第三水曜日 宿題  
第四水曜日 宿題
第一水曜日 宿題
   ★宿題;家で構成用紙を見ながら作文を書くこと。書けたら、構成用紙と作文を封筒に入れて郵送する。1週間以内に郵送で返却されるので、添削を読んでファイルにとじておく。
   ★家で作文の宿題をしていてよくわからなくなったら、水曜日の17時~19時に電話をして質問してください。(第二水曜日は教室にいるので留守です。)

 まずこれはどう見ても本気の文章だ。それから「作文の勉強は、書く勉強だと思われがちですが、土台となる読解力や思考力を養う勉強と並行して行う必要があります」の1行には大いに納得させられた。また読解力を「速さ」と「深さ」に分け、それぞれを身に付けるための方策についての説明も、数学の勉強と同じなのだなと感じることができた。さらに「思考力を身につけるためには、小学生のうちは、家庭での対話が必要になります」以下の説明はまさに我が意を得たりと言える内容だった。
 ということで稲荷塾小学生部においては、今後数学のクラスと作文のクラスが並立で行われて行くのかもしれないと感じている。


英語クラス

 今日は家内とデートでした。と言っても本屋さんをうろちょろして、お茶を飲んで帰って来ただけですが…。
 実は、次の次の「塾長奮闘記」(1月15日にアップ予定)に載せますが、稲荷塾で英語のクラスを作る計画を立てています。受験英語ではなく、英会話でもなく、「ビジネスや学問の現場で実際に使える英語力」を身に付けるプログラムを作りたいのです。しかし、イメージはあってもどこから手を付ければよいのかすら分からない状態なので、まず情報を収集し、自ら学ぶところから始め、その中で道を見つけたいと考えています。
 

ジギング

 メジロは出世魚です。大きさによって名前が変わります。関東と関西で呼び方が違いますが、関西では「モジャコ」「ツバス」「ハマチ」「メジロ」「ブリ」と変化します。
 昨日息子が釣ったのは75cmだったので、メジロです。80cmか90cmか、何センチからブリになるのかは分かりませんが、もうちょっと大きかったらブリでした。早速今日の朝食(と言っても11時半)に刺身でいただきました。カンブリって寒ブリと書くのだと勝手に思い込んでいますが、つまり寒いときのブリだろうということですが、最高の味でした。
「ウ~ンうまい!」
 ところで味と言えば、家内がメジロをさばいていたら、その胃の中から15cmほどのアジが2匹出て来ました。猛スピードで泳ぎ回りながら小魚を捕食しているので、ジグにも食いつくのです。昨日の釣りはジギングと言い、魚に似せた鉄の塊を7、80メートルの海底から引き上げて来る作業の中でヒットを狙うものです。魚に似せたと言っても、通常のルアーと比べると明らかに「鉄の塊」なので、魚を騙すアクションが必要であり、これが上手くできるかどうかが釣果を分ける要因になります。海のうねりによって大きく揺れる船の上で、海の中をイメージしつつ、これを行うのは結構の重労働で、50を過ぎたおじさんにはきつかったです。
 と言いつつ、釣れた時の快感を思い出すと、次はいつにしようかなと新たな計画を立ててしまうのです。
プロフィール

inarijuku

Author:inarijuku
稲荷塾について
東大・京大受験のための数学専門塾

著書:
稲荷の独習数学
教学社 





頭のいい子には中学受験をさせるな
メディアイランド




驚きの東大合格率
小さな数学塾のヒミツ
東洋出版

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