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ミニ講座(1)の続き

 1回に書ける量の範囲に制限があって、収まり切らなかったので2つに分けました。

 分かり易くするために対応する線分と角に印を付けてみました。すると左の図では円周角が「1本線足すちょぼ」で中心角が「2本線足す2ちょぼ」になっているのに対し、右の図では円周角が「1本線引くちょぼ」で中心角が「2本線引く2ちょぼ」になっていることが確認できます。いずれの場合も中心角は円周角の2倍になっています。
 こういった対応関係を見抜き、「同じ話だ」と感じれるようになると数学の観点が分かって来たことになります。たとえて言えばこの2つの場合の違いを、普段のお母さんとパーマをあてたときのお母さんの違いぐらいに感じることが大切だということです。
 これは簡単な例でしたが、以前チェバの定理を説明したとき、三角形の内部に点をとるときと外部に点を取るときでの議論を「同じですね」と軽く言った生徒がいたのには驚かされました。彼には同じに見えるんだなぁと正直言ってショックを受けました。私には、三角形の外部に点をとるときの議論の方がずっと難しく見えていたものですから、「同じだ」と感じる感性はすごいと思いました。しかし「同じだ」と指摘されてよく考えてみると、不思議に「あぁ同じなんだなぁ」と思えるようになりました。
 そういうことで、理解度にはかなりの個人差があるのですが、数学の勉強を難しいと感じている諸君も、高校数学レベルならある程度の努力で克服して行けるものだと信じてやってほしいと願っています。

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ミニ講座(1)


 図を見れば、三角形の2つの内角の和が、残る内角に対する外角に等しいことが分かります。これを簡単に「内角の和は外角」と表現しておきましょう。

 「内角の和は外角」を使って二等辺三角形の場合は外角が内角の2倍になります。(図)

 これを組み合わせて、円周角と中心角の比が1対2になっていることが確認できます。そうすると円周角はどこにとっても同じ大きさになることになりますが、次の図のような場合でも同じでしょうか?

 これが同じだと感じることが一般化の始まりです。

中学数学の高校数学に対する位置付け

 先日東京から家庭教師業をされているという方から電話がありました。私がブログで、教育関係の方に稲荷塾方式を使ってもらうように訴えたからだと思いますが、大体次のような内容でした。
 
 「東京の中高一貫校では2年間かけて中学数学をするというのが当たり前になっている。それに対して、1年で中学数学を終えて中2から高校数学に入る場合、どの程度まで中学数学を仕上げればいいのか」

 要するに、中学数学の高校数学に対する位置付けを確認しておられるのだと思いました。つまり、中学数学はとりあえず一通り終わらせればそれでいいのか、それともある程度の演習は必要なのかということを聞かれていたと思います。
 これに対して私の思うところを書きます。
 中学数学は高校数学の準備です。つまり高校数学に入ったときに困らなければいいのです。そうするとこの「準備」に含まれるものは、知識以外にもいろいろあることが分かって来ます。
 まず文字を使って一般化された議論ができないといけないし、逆に一般化された知識が具体的事例に適用できないといけません。こういった数学的な見方が自然にできるようにトレーニングする必要があります。
 もちろん数式の処理スピードが遅いのも問題になるので、速くて正確な処理能力も要求されます。
 幾何の問題を通して思考力を鍛えること、論理的に誰にでも納得してもらえるような証明がかけることも大切です。
 関数概念を理解し、2つの変数の関係が把握できたり、グラフの利用もできるようにならなければなりません。
 結局中学数学を一通り終わらせただけでは、これらのことが身に付いたことにはならないと思います。一通りの学習が終われば、全体を短い時間で復習し直し、知識の定着をはかり、さらにその後、できる限りの演習をすることによって初めて高校数学に入って困らない「準備」ができることになると思うのです。
 それではこれだけの作業をするのにどれだけの時間がかかるでしょうか。もし2年間かかるというのであれば、それは途中での演習をし過ぎだからじゃないでしょうか。全体像が分からない段階での演習はあまり効果がありません。もちろんドリルはすればするほどいいでしょうが、やり過ぎると飽きてしまいます。
 うまく計画してやれば、1年あれば十分だというのが私の見解です。以前のブログにも書きましたが、上記「準備」を1ヶ月でこなす子もいます。それは相当に優秀な子についての話ですが、そうでなくても中高一貫校の平均的なところであれば、1年あれば何とかなる筈だと思います。


必ず最後に「稲荷塾」が勝つ♪

 「2月特訓」をした新中1と新中2の子にとって、3月から高校数学に入るのが結構難しかったことを4回のレポートで紹介しました。もちろんこれから先が長いので、いくらでも挽回することができます。しかしもし彼らが中学受験をせずに、「小学生の頃から稲荷塾に来てくれていたら」と考えると、もっと可能性を広げることができただろうにと感じてしまいます。
 この「もし」をもう少し拡大して、中高一貫校でない高校に通う生徒に適用してみれば、もういてもたってもいられない気分にさせられます。この中には優秀な子がいっぱいいるのですが、彼らは自分でじっくり考える間もなく、補習だ、宿題だと追いまくられているのです。しかもまわりのみんなも同じように頑張っているので、その不自然さに気付かずにいるのです。
 どれだけ彼らの可能性をつぶしていることでしょうか! 進学実績を最優先事項として追い求めている学校にも問題があります。もっと効率がいい方法があるのにそれを見つけられないでいるからです。しかし問題の本質がカリキュラムにあるのは明白です。何と言っても稲荷塾のそれに比べて3年も遅れているわけですから … 。
 今後稲荷塾の主張は徐々に世の中に浸透して行くことになるでしょう。稲荷塾の小学生部に在籍していた子が大学への進学実績を上げ始めるのは、まだ大分先のことになりますが、それを待つ必要はないと思います。何故かって、それは「稲荷塾の方法が圧倒的に有利だ」ということが明らか過ぎるほど明らかだからです。




「2月特訓レポート」その4

 新中1生が3人、新中2生が4人で計7人が参加した2月特訓が一応終了しました。
 これは2月中に残された中学数学をやってしまって3月から高校数学に入ろうとする試みでしたが、結局3月から高校数学に入ることになったのは、新中2の子ひとりだけでした。少し無理をすれば、やってやれないわけではないというところまで来た子はほかにもいたのですが、無理をするのが良いのか、じっくり準備をするのが良いのかは結果を見ない限り分からないので、最終的には本人に決めてもらいました。
 そんなことで、中学数学のクラスの人数が予定していたより多くなってしまいました。要するに定員オーバーになってしまったので、水曜日の7時10分から8時50分までにも中学数学のクラスを作り、金曜日の人数を一部分散させることにしました。
 定員オーバーと言えば、小学生部の水曜日の5時から6時までのクラスがいっぱいになっており、その他の小学生部のクラスもそんなに余裕があるわけではないので、今年度のようにそこで高校数学のクラスの生徒の補習をすることができません。
 補習は基本的に土曜日にすることにします。それに伴い、土曜日の利用時間を増やします。チューターは6時からでないと来ませんが、4時から6時の間も2階の教室を使えるようにしました。



ぼやき part2

 昨日、京大の数学の入試問題が異常に易しかったことに対する不満を述べましたが、これには伏線があります。
 このところ京大からの論文数が減少し、阪大に抜かれるのは時間の問題だという話を耳にします。これは大学の研究活動の活発さを測る一つの尺度として用いられますが、部外者から見ていてもそうだろうなという感じがします。というのは、入試問題のレベルが低下して来ているのに合格最低点も低下して来ているからです。つまり、塾という立場から京大の入試を20年以上に亘って観察して来た者の実感として、京大の学生のレベルはかなり下がって来ています。
 これの一つの原因として、工学部の学科統合を挙げる人もいます。たとえば今の物理工はかつての航空、機械、金属、材料、精密などを統合してできたものですが、そのようにすることによって「何がしたい」という明確な目的を持って入学して来る学生が減ったというのです。同じような現象は北大でも起こっており、細分化された学科を統合することにより、大学のレベルは落ちに落ち、旧帝大としての輝きを失ったと主張しています。
 要するに文科省の言うことを聞いたところは下がり、そうでないところは生き延びているというわけですが、どうなんでしょうか。そのようでもあるし、そうでないようでもあるし … 。たとえば東大を見るとこれは初めから学科が統合された形になっていますが、だからと言って東大のレベルが落ちたという話は聞いたことがありません。
 正直に言って、この学科統合の是非についてはよく分かりません。ただ、京大のレベルが落ちて来ていることだけは確かだと思うし、そこに来てこのような稚拙な入試問題を出されると、京大を愛する者としてがっかりさせられてしまうということなのです。


京大の数学

 2次試験の1日目が終了しました。みんなの出来はどうだったのでしょうか。
 そんなことを気にしながら、私はとりあえず京大の理系数学を解いてみました。すると、あまりの簡単さに残念な気分になりました。医学部以外なら、これでもある程度点数がばらけて入学試験になるのでしょうが、医学部合格者はおそらく全員満点になるだろうと思います。
 入学試験はその大学の品位を表すものであり、その大学を目指す者からすると「こんなに難しいのか、じゃあもっと頑張ろう」と思うようなものでないといけないと思います。
 それなのに、特に1番などは、稲荷塾の小学6年生の子でも相似の知識だけですぐに解いてしまいましたし、4番の微分を用いて最大値を求める問題も、はっきり言って入門レベルでした。近年京大の問題が易しくなっていることに対して、京大の先生からは採点基準を厳しくしているという話もあったようですが、それは全く方向違いであるように感じます。
 受験生のことを心配していた筈でしたが、京大の問題があまりにもお粗末だったものですから、ついつい愚痴を書いてしまいました。



いよいよ2次試験が始まる

 昨日walkmanを買ったと言って喜んでいましたが、語学学習機能の付いていない機種を選んでいたようで、失敗だったそうです。が~ん、ショックです。しかし1万9千円もしたので、今更もう1個とは行きません。「真剣勝負を短刀で闘う」を載せたばかりですが、この機械で闘おうと思います。

 さて、いよいよ今日から2次試験が始まりました。受験生たちには「自分のできることをすべし」でやってもらいたいと願っています。

 最後は連絡事項です。今日の中学数学のクラスでは、3月11日から始まる数IAの新クラスのためのクラス分けテストをします。同様に数IAのクラスでは数IIBのクラスのためのクラス分けテストをします。 
 それから3月1日から3月10日までは、塾はお休みです。

walkman 購入

ウォークマン
  遂にウォークマンを買いました。
 しかし使えるようになるまでが大変でした。まず何らかの設定をして、CDから情報を機械に入れて、そして聴こうと思うところを選んで聴くわけですが、機械オンチの私にはいちいちつまずくことばかりです。そのたびに娘に助けてもらって、やっと一人歩きできるところまで来ました。
 長い説明書ははなから読む気がせず、どうももっといろんな機能があるようですが、どれどれと学ぶには気力不足です。英語学習のヒヤリング力強化のために使うという最低限の目標が達成されれば、それでいいと思っています。

                さあ、やるぞ! 
  
 しかし時代は変わりました。私が大学生のときに使っていたウォークマンはカセットを入れて使うものだったのですが、今はコンピューターから情報を入れるのです。しかもボタンなどはなく、若者達が使っている(おじさんも使っているって?)スマホのような画面をたたいたり、さっと一掃きするというような動作で操作するのです。機械を傾けたら画面が横を向いてしまったときには驚いてしまいました。
 よくそんなレベルでブログなどを書いているなと思われるかも知れませんが、大丈夫、煩わしい作業は全部岡村さんがやってくれました。thank u !

自分のできることをすべし Part2


 今日は昨日の続編で、「小さな数学塾のヒミツ」から関連記事を紹介します。

「真剣勝負を短刀で闘う」
 稲荷塾の演習のクラスでは4問の課題を各自が自宅で解いて来て、それについて私が解説するという形式を採用している。本来、「塾に来てからその場で考えて、即解答」というふうにやれば、予習時に考えたときから説明を聴くまでのタイムラグもなく、また予習が甘く、十分には考えて来なかった子がいたりするようなこともなく効果的な授業ができる。しかし、1つのコマに充分な時間を取ろうとすると、かえって集中力が下がってしまうこともあるし、何と言っても全体の時間割が回らなくなってしまう。そこで、生徒自身の自覚に期待して、意味のある準備がなされていることを前提にいきなり講義を始めることにしている。ただ、最初にみんながどの程度できているかをチェックすることは大切で、これは4問の説明に割く時間配分や、どこを重点的に話すかといったことを考える上でとても参考になる。ときに誰も解けなかった問題があり、かつ時間の余裕が作れるときなどはひとつのチャンスで、解法に必要な知識などを確認して、もう一度トライさせることもある。自分でヒントを探し出し解決の糸口を見つけ出すという作業が、できないレベルからできるレベルへ、今まで見えなかったものがその瞬間に見えるようになるという境界線を通過することにより、次は自分で処理することができる段階に一歩近付けると思うからだ。
 ところで「解けない」理由について考えると、それは単に必要な技術が身に付いていない、要するに勉強不足ということもある。しかしそうではなく、「すみません、勉強不足です」と頭を下げること自体が問題であることも少なくない。つい最近の授業でこの典型と思われる例があったのでそれを見てみよう。設問は整数に関連する分野の問題で、多くの諸君が苦手意識を持っている … 、しかもあまり見たことがないような問いかけだった。「意味が分かりにくいし、どうすればいいのかも浮かびにくい。こういうときはどうすればいいんだろう? … 」もちろん誰も答えない。私は続けて「一般的な表現になっているし、内容も抽象的でどこから手をつけたらいいのか見当もつかない。こういう場合は僕の力不足ですと謝れば良かったんだっけ? … 」と聞いてみたところ、O君が何か気付いたようだった。普段から「調べる、状況把握、一般化」は解法のはじめだと私がよく話しているのを思い出したように見えた。「分かったか?」「具体的な場合で調べてみればいいんじゃないですか?」「そうや! じゃあやってみ」 … 早速手を動かし始めた子もいたし、まだ迷っている子もいたが、2分もしないうちにY君の顔がニタッと緩むのが目に入った。「どう?」「これ、ひょっとしてむっちゃ簡単ですか?」「そうや」 … 結局この問題、短時間のうちに大半の子が正解にたどりつくことになった。予習段階では誰一人として手がつかなかったにもかかわらずだ。
 このように心理的原因によって見えるべきものが見えなくなってしまっているというようなことは、現実の生活の中でもあるのではないだろうか? いつもいつも万全の準備をして闘いに臨めるわけではないので、あれができていない、これが不足だと負債感を背負い込み易く、それを言い分けにして一番大切な闘志を失っているようなことがけっこうあるように思う。 テニスの西村コーチがこんな話をしていた。「真剣勝負の場に出て鞘(さや)から刀を抜いてみれば、何を間違えたか短刀だった。さてどうするか? やるべきことは、短刀でできることをすることだ。… 」 逃げることでもなく、自暴自棄になることでもなく、できないことをしようとすることでもなく、今持っている力で戦うことが大切だということだと私は解釈したが、これが難しい。ついつい相手のサーブが凄かったから … 、相手はボレーが上手かったから … と敗戦の理由を自らの外に求めるが、だから自分はどう考え、どうしたのかを反省すべきで、「そんなことないって、稲荷さんの方が強いって!」とコーチに諭されてはじめて、もっと違う闘い方があったことに気付かされることがしばしばだ。(2009年10月11日)





自分のできることをすべし


 今日は第4金曜日ということで、ニッシーレッスンに行って来ました。
 実は来月、約1年ぶりに京都市の試合にエントリーしています。試合に出なくなると練習が甘くなり、ついついお楽しみのテニスになってしまい、気が付いたら肺活量も大分落ちてしまっていました。「これではいかん!」ということでこの1週間軽い走り込みをトレーニングに加えています。その甲斐あって、少し息が続くようになって来ています。そんなことで、今日はかなり食い下がれるのではないかと意気込んでニッシーレッスンに行って来たのですが、ダメでした。
 「今日は試合が近いから、実戦的にやろう」
とコーチは言いましたが、これってどういうことだか分かりますか?
 レッスンでは約70分基礎練習をして、その後約50分ゲーム練習をするのですが、今日も約70分の間基礎練習はしました。ですからゲーム中心の練習をするということではありません。上の発言はゲーム練習の前に飛び出したのですが、私も大して気に留めず、私が対戦する相手を想定したようなプレーでもしてくれるのかなぐらいのことを思っていました。ところが全然違いました。
 実戦で一番いけないのは、無意味なミスをすることです。すごい球を打ってポイントを取れば、気持ちはいいのですが、当然そのようなプレーにはリスクがついて来ます。そしてそこでミスをすると失ったポイント以上の精神的ダメージを受けてしまいます。次は必要以上に慎重になったり、今度こそと無理を重ねたり、正常な判断力も失いかねません。
 だから「実戦的にやろう」とは、こういうミスを一切しないという意味だったのです。しかしだからと言って消極的なプレーをするという意味ではなく、自分のコントロールできる範囲で戦略的なプレーをするということなので、1本で決められるよりずっとしんどいのです。遂には私の足が鉛が入ったようになり、その直後息も上がり、それでも走らされるので、地獄を見ました。
 
 にもかかわらず、今日は2時から補習、それに高3生の最後の授業だったのです。初めは起きているだけでつらかったのですが、次第に頭が冴えて来ました。
 必死に問題を解いている彼らを見ながら、西村哲学を思い出しました。

         自分のできることをすべし
 
 突然ひらめいて実力以上の力が発揮できるとか、何かの起こりそうもない幸運が訪れるというような白昼夢を見るのではなく、自分のできることをきっちりするということが一番大切です。浮き足立ってはいけません。無意味なミスにより滅びてはいけません。そのためにはまず精神的武装が必要です。自然体でリラックスして、持てる力を十分に発揮してほしいと願っています。

英語に燃える


 前々回の数IIIの授業で、eが無理数であることを証明して盛り上がりました。調子に乗って昨日、π(円周率)が無理数であることを証明しましたが、難しすぎて、いまいちの反応でした。いくら面白い内容だったとしても、適正な難易度の題材でなければだめだと反省しました。
 このクラスは高1生と高2生を対象に数IIIのイロハを学ぶことになっています。受験学年になってしまえば、受験に直結する話題以外は後回しになってしまいがちなので、余裕があるときに知的好奇心を刺激してくれるような話をしておこうと思ったのですが … ちょっと失敗でした。
 さて、この頃英語を勉強していると何度も書いていますが、その効果があって少し読めるようになって来ました。これまでは読む内容が簡単なものだったとしても英文が2ページ以上になると、そのまま読み進めるのに苦痛を感じていました。しかし努力の甲斐あって、今は2ページ目に入ろうが3ページ目に入ろうが大丈夫という状況になったのです。どうだ、すごいだろうということで、「Facebookの面白い友達」に自慢しようとしたら「それは簡単なんです」とあっさりと退けられてしまいました。
 日本の英語教育を受けて来た我々は、「読む」ことに関してはかなり鍛えられているんだというわけです。問題はちゃんと聴けるかどうかということで、これができるようになるには相当の時間がかかるということでした。シュン。
 しかし一旦はしおれましたが、ちゃんと対策は指南してもらいました。 … この「聴く」力を鍛えるためには、まずウォークマンを買って、簡単な英語を聴き続けることが大切なんだ … そうです。ウォークマンにはリピート機能がついており、聞き取れない箇所を何度も繰り返して聞くのに最適だということでした。早速この週末それを買いに行こうと思います。



戦略以上に大切なこと


 戦略を理解することは大切です。稲荷塾の受験戦略を繰り返すと次のようになります。
「高3になって受験勉強を始めるとき、入試で問われる内容についてのイロハが身に付いているかいないかが、その後の1年間、順調に成長して行けるかどうかの鍵を握っている。そのためには 高1の終了とともに高校課程を学び終え、高2の
1年間はその演習に充てるのが良い。これを実現させるために中2(または中1)から高校数学に入れるように準備すべきだ」
これは稲荷塾の重要な考え方なので、いくら強調しても、し過ぎることがないぐらいです。
 しかし、それ以上に大切なことは数学を学ぶこと自体を楽しむということです。
 この2月は、新中1と新中2の新入塾生に対して3月から高校数学に入るための特訓をしているという記事を何回かに分けて書いてきました。ですが、結論を言えば今年は全員苦戦です。場合によっては3月からは1人も高校数学に入ることができず、1年間じっくり学んだ方がいいということになるかもしれません。そこで、微妙なラインにいる子について、本人と、あるいは保護者の方と「無理を通すべきか、そうするべきではないか」ということについて話し合いを始めています。その中である保護者の方から面白いメールがあったので紹介します。

「私もどうかなーと思っているのですが、昨日、☆★は「数学って面白いなぁ!」と話しており、本人はヤル気マンマンの様です」

ウ~ン、これこれ! これです。これこそが全てに優先することだと思います。

 関連する記事を「塾長奮闘記」から転載しておきます。
「5.24 ファインマンさん」
 昔、篠原という生徒がいた。「環境問題は俺が解決するんだ」と意気込みながら高2のときに既に難しい化学式を含んだ学術論文を読んでいた。現役で東大に進んだだけあって勉強もよくしたけれど、ソフトボールをするために仲間達と我が家を訪ねて来たり、何か余裕をもった子だった。あるとき彼が「むっちゃおもしろかったけど、読んでみませんか」と言って「ご冗談でしょうファインマンさん」という本を持って来た。確かにむっちゃおもしろかった。結局彼が持っていた5、6冊のシリーズ本を全部借りて読むことになった。 … とは言えこれはもう18年も前の話なので、本の内容となるとそのほとんどは忘れてしまっていた。ところが先日息子を連れて本屋さんに行ったとき、彼が選んで来た本がこの本だったのだ。「おお、これおもしろいねん」と言いながら過去の記憶がどんどん蘇って来るのを感じた。
 このとき買ったのはシリーズのうちの1冊だけだったが、ちらちらとページをめくるとおもしろいことおもしろいこと、どんどん引き込まれて読みたい気持ちを抑えることができない。さりとて息子に買ってやった本を「俺が先に読む」と言って取り上げるわけにはいかないから、仕方なく本屋にもう一度行って、関連の本を棚に置いてあるだけ全部買って持って帰って来た。以来2週間に渡って読み続けているものだから、もうすっかりその世界に入り込んでしまった感じがする。 … 基本的に軽い読み物だからへぇ ~ ! と感心したり、思わずぷっと笑ってしまったりしながらどんどん読み進めることができるのだが、2つ3つ心に残るところがあって、あれこれと考えさせられた。今回はそのことを書いてみようと思う。
 まずファインマン先生は「ノーベル賞はありがた迷惑。つきとめる楽しみこそが僕のご褒美!」と語っているけれども、これは凄い言葉だ。凡人はどうしても世の中に評価されることが目標になってしまって、それがうまく行かないときに「どうしてなんだ!」と情熱を失い易いものだが、どんなことであれその分野を探求すること自体が楽しければ、どこまでも行くことができる。俺は本当に仕事を楽しんでいたのだろうか … ? と反省させられた。
 次に「名前を知ることとそのものを知ることは違う」という科学の姿勢を父親との散歩を通して学んだというくだりにも多くのことを感じさせられた。やはり偉大な人の背後には偉大な両親があったんだと再確認する一方、自分は子供の本性を刺激するような接し方ができて来たのかと問い直す機会が与えられた。それに加えて、点数を取る子と将来伸びて行く子の微妙な違いについても納得のいく判別法が与えられたような気がした。つまりやり方を知っているのと、それが分かっているのとは確かに違うということだ。 … 今チューターとして活躍してくれている中山君は実に不器用な男だった。ちょっと技術を使って「こうすりゃいいやん」というところを自分流のやり方でするものだから随分損をしていた。特に数IIIなどの知識量を問う分野に弱点があって高3の秋頃まで「大丈夫だろうか?」と心配したものだった。ところが結果は京大工学部地球工のトップ合格だったのだ。これは彼のやり方が正しかったということだが、いくらなんでもトップは凄い。ただしここでひとつ注意しておくが、何でもかんでも自分流のやり方が良いと言っているわけではない。ひとつひとつの技術を自分が自然に使えるレベルにまで理解して進んでいこうとする姿勢が大事だということを言っているのだ。当然これには時間がかかるし、遠回りすることもあるけれども、そういうことは気にするべきではない。このように目の前の点数には不安があっても将来伸びるであろうと思われる子がいるのに対して、全く逆のタイプも存在する。悪い言葉で言えば点取り虫ということになるが、定期テストレベルではそういうアプローチが成功したとしても、もう少し本質的な見方ができるようにならないと早晩だめになることが見えている。自分がこれに近いタイプだと感じたら、取り組み方を早急に改善してほしい。
 さて最後にもう1つ、「聞かせてよファインマンさん」の中で「世界一頭のいい男」というタイトルでインタビューを収録した部分があるが、その中で物理学がますます数学的で抽象的なものになって行くのかと問われたことに対して彼が答えているところがある。その答は当然イエスだが、だからこそ「もっと問題がわかりやすくなるように、だれかがその考察のしかたを創り出してくれるか、あるいはますます早くから数学を教えることになるかも知れない」とファインマンは自らの見解を述べている。これこそ我が意を得たりという発言だ。ひとつは大学の数学があまりに広く、かつ抽象的で、一体何に使われるのか非常に見えにくいということが問題だ。工学部の学生などははじめから分からないものだと決めてしまって、単位をとるためだけにわずかの勉強をするというのが一般的なやり方になってしまっている。これではだめなので、誰かがもっと学び易い形に作り直さないといけないし、その上で「だれかがその考察のしかたを創り出す」ということが起こるのだと思う。しかしもちろんこれは私の守備範囲外の話なので「誰か」に期待するとして、後半の「ますます早くから数学を教えることになるかも知れない」に注目してみたい。
 現段階では塾の運営上、大学受験に有利になるための方策として「中2から高校数学に入ろう」と訴えているわけだが、実際上この時期はいくらでも早くすることができると私は考えている。高1の年令にならないと高校数学を理解することができないなどということは全くない。中1生にだって小6生にだって正しく準備さえすればちゃんと分かるようになっているのだ。しかしまだこの試みは始めたばかりなので「確かな手ごたえを感じている」という報告をするに留めておくが、近い将来灘を越える集団がここ長岡京市に出現する筈だと予言しておきたい。
2011年7月9日


アマゾンのレビュー


 2月の初めから走り続けて来たので、疲れが出ました。それでも今日は2時から補習です … 。それまで寸暇を惜しんで寝よっと … 。
 ところで、アマゾンに「小さな数学塾のヒミツ」のレビューを投稿して下さいとお願いしていましたが、小学生部の生徒の保護者の方と高1の生徒から、合わせて2件のレビューが投稿されました。ありがとうございました。 … しかしもっと沢山の投稿を期待していただけに、人に動いてもらうことの難しさを学習しました。
 さらに裏話を続けると、高1の生徒からはご褒美として、「数IIIの授業ノートをコピーしたものをくれ」と要求されています。「自分でしっかりノートを取れ」と言いたいところですが、あげようと思います。おめでとう! しかし、誤字2つと今ひとつの文章 … 「国語も鍛える必要があるね」とコメントを追加しておきます。





「クオリティ国家という戦略」

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 これはすごい本です。日本の問題点を指摘する書物は多いですが、それらを解決する筋道を明らかにし、これほどに明快なビジョンを示した本は見たことがありません。
 以前、親しい友人が大前研一を批判していたこともあり、また「大前研一」というと何となく偉そうな感じがして、この人の書いたものを避けてきましたが、昨年末「Facebookの面白い友達」から、大前研一の書籍を何冊か送ってもらったことがきっかけで見方が変わりました。
 絶対に読むべきだと思います。おそらく中学生以上なら理解することができると思うので、塾生たちにも是非読んでもらいたいです。


土曜日の「演習」について


 稲荷塾では土曜日には授業がありません。しかし時間割には「演習」と表記してあり、少し分かりにくいので説明しておこうと思います。
 「演習」の目的は2つあります。ひとつは休んでしまった授業の補習をすることで、もうひとつは授業の補佐です。
 これらを説明する前にまず、担当のチューター2人を紹介しておきます。一人はH君でもう一人はS君です。彼らはともに府立医大の学生で、稲荷塾で「中2から高校数学のカリキュラム」を試し始めたときの第1期生がH君で、S君は第2期生です。彼らは中1の終わり頃から塾に通い始め、その後順調に成績を伸ばすことができたので、「中2から高校数学に入るカリキュラム」を稲荷塾のメインのカリキュラムに変更したという経緯がありました。今ではさらに「中1から高校数学に入るカリキュラム」を模索中ですが、彼らが果たしてくれた役割は非常に大きかったと言えます。
 また彼らはとても優秀ですが、同時にスポーツマンでもあり、魅力的な青年に成長したと誇りに感じています。H君は見るからに顔が真っ黒で何かのスポーツをしているのが分かりますが、軟式テニスをしています。3回生のときは部長もしており(今もかもしれない)、自然なリーダーシップがとれるタイプです。一方S君は色白ですが、中高生のときは水泳部に所属しており、今大学では空手をしています。ついでに言えばかるたも4段で(強いのか弱いのか不明)、チューターとしては説明がとても上手く、熱烈なファンがいるぐらいです。
 さて「演習」の目的のひとつめ、休んでしまった授業の補習から説明します。まず確認しておかなければならないのは、授業はできるだけ休まないようにしてほしいということです。定期テスト前でも、テスト中でも休まないでほしいです。テスト前の詰め込み勉強では本当の実力はつかないと考えるからです。しかしどうしても仕方がないときもあるだろうと思うので、そういうときには土曜日に補習をします。過去の授業をノートにとったものがコピーしてあるので、それを用いて岡村さんとチューターとで分担して補習をします。
 次に授業の補佐ですが、これは主に数IAと数IIBのクラスの生徒を対象としています。これらのクラスでは毎回授業内容の確認のために宿題が出されますが、これを自力でこなすのに困難を感じる場合は、授業の理解度が今一だということになり、何らかの手助けが必要になります。宿題の問題の解き方を説明してもらったり、授業内容で理解不足だったところの説明をもう一度してもらったりすることが必要になるということです。このために「演習」の時間が設けてあります。
 以上が「演習」の大まかな説明ですが、そのほかにも単に自習に来ている生徒や、他の曜日に来れない事情があり、本来の授業時に来れるようになるまでのつなぎとして土曜日を利用している諸君、それからこの2月は新中1生と新中2生の子で3月から高校数学のクラスに入ろうとして特訓に参加している子も土曜日に来ています。さらに今は受験生が直前期にあたるので、その補習も土曜日に組まれたりしています。
 そんなことで昨日も、それから1週間前の9日(土)も塾は座る座席がないぐらいに生徒でいっぱいになりました。こういう状態は3月になって、新年度が始まってしばらくすれば落ち着くだろうと思うので、あともう1回23日(土)も大変かもしれませんが、土曜日を利用する諸君は我慢して下さい。


英語クラスの方向性について


 ある生徒の保護者の方が、参考になるのではないかと言って貸して下さったこの本、非常に面白かったです。
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 英語、理科、算数、社会に分かれていますが、どの分野もまず単語が難しいです。恐るべしアメリカの小学生の常識! と言うか、恐るべし我が非常識! 次に文章のレベルにも驚きです。私の見たところ、これはちょうど日本のセンター試験程度であると思われます。こんなのを向こうの小学生は読んでいるんだとショックを受けました。
 小学校の教科書でこれだから、中学校のだったらどんなんだろうと興味がわきますし、全ての教養の出発点がここにあるような気がして関連の書籍を探してみました。

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 これらはとてもいい本です。特に中学校の教科書は、それがそのまま我々の到達目標であるような気がします。
 まださらさらと見ただけで、しっかり読んだのは「英語で授業を受けてみる」(中学校編)の文学の部分で、Mark Twain の Adventures of Huckleberry Finn の解説がしてあるところだけですが、私の印象では京大の長文よりずっと難しいです。まず知らない単語がどんどん出て来ます。しかしそんなことは序の口で、一旦読んだ後、CDを聴いてみると … ガ~ン! これが普通に聴き取れたら、それは我々が一般に言うところの「ペラペラ」のレベルだと思いました。
 それに何と言っても扱っているテーマがいいです。上で「全ての教養の出発点がここにあるような気がする」と書いていますが、まさにその通りで、小中学校で習う内容こそが全ての教養の基礎だと感じました。これを土台に現実的な興味の趣く方向に学びを進めればいいのではないかと今は考えています。




思春期


 入試の関係で学校が休みになっている高校が多いようです。息子の高校も昨日と今日の2日間が休みになっていて、何で今日は私はこんなに疲れているのだろうと考えてみれば、そのことが原因であることに気付きました。今日は幸い、息子はテニス部の仲間たちとフットサルをするということで朝から出掛けたのですが、昨日は終日家にいた彼が何度もプロレスを仕掛けて来たのです。
 今までは力で押さえ込んでいたのですが、遂に逆転気味になって来たのです。ちょうどこの時期、精神的独立の一歩手前に来て父親は批判と克服の対象になっているようで、ついでに腕力でも越えておこうということなのかも知れません。思えば昨年末にテニスで負けて以来、急激にこの流れが加速したように思います。
 ボウズが偉そうに言うのは腹が立つし、ちょっと悔しいのでもう少し抵抗してみようかなと考えています。


口で伝えられないこと


 内容が真剣であればあるほど、口では伝えられないことがあります。一体どのように伝えればいいのだろうと悩んでいたら、1冊のノートを発見しました。

ノート

 これは息子が小学3年生のときから中学校に入るまでの約4年間に亘って、私が彼に書いたアドバイス集です。主にテニスに関することを書いていますが、食事のマナーをはじめとする生活的なことにも触れています。
 息子は行動がのろく、従って学習ものろく、父親の私はそれを改善しようとして知恵を絞っています。ときには怒りをぶつけ、またときには愛情を表現し、 … 正直言って感動しました。
 こんな方法があったのです。すっかり忘れていましたが、口で言うより何倍もその思いを伝えることができます。
 また始めてみようかなぁ …。




連絡事項(小学生部と作文教室について)


 2点、連絡事項があります。
 まず第1点めです。チラシでは小学生部の曜日を増やし、新年度から月曜日にも小学生部を開講すると書きましたが、その時間を「我々スタッフの英語の学習時間」にすることに決めました。ですから小学生部は、今年度と同様、火曜日、水曜日、木曜日です。時間は5時から6時と6時から7時の2クラスです。
 次は作文教室についてですが、第2水曜日のクラスは5時から6時までのクラスも6時から7時までのクラスも満席になりました。そこで第4水曜日に6時から7時までのクラスを作りました。これがいっぱいになれば、同じ第4水曜日に5時から6時までのクラスを作ります。

 数学塾のブログに数学の話題がないのは変なので、今回はちょっとだけ数学関連の話を入れます。
 今日は数III(基礎)の授業があります。このクラスには高1の子と高2の子が在籍していますが、最低限の目標を微分積分の計算ができるようになることとして、さらには複素数平面についても行列1次変換についても学ぶといった具合に意欲的に取り組んで来ました。行列1次変換を学ぶときには、高1の諸君が興味をなくさないかを心配しましたが(高1以下の高校課程には行列1次変換は存在しない)、よくついて来てくれたと思います。
 そして今、予定していた内容を全て終了したので、前回から演習に入っています。内容としては小テストをしたり、基礎的な入試問題を解いたり、トピックとしてe(ネイピア数)が無理数であることを証明したりしました。苦戦している子も多かったですが、とても楽しんでいる子もいました。
 さて今日はどんな話をしようかなぁ … 。



英語クラスの展望


 昨日は家内と京都の本屋さんに行きました。息子にも一緒に行こうと誘ったのですが、来ませんでした。難しい年頃になったのでしょうかねぇ?
 最近気が付いたのですが、私のテンションが高いときは親子の会話が弾まず、むしろそうではないときの方が良好な関係が築けるのです。逆のような気がするのですがどうなんでしょうか?しかしまあ、感じたままだとすれば、自分の精神状態が高いときには、あえてそれを下げて家族と接するということが必用なんでしょうか?
 よく分からないことを書いてしまいましたが、とにかく去日は本屋さんに行って来ました。経済関連の自己啓発書と英語の学習に関連する本を約1万円分ほど買って帰りました。私はこっちを少し読んだら、次はあっちという具合に同時に複数の本を読むのが好きです。1冊だけをずっと読むと、何だかすごく疲れます。そんなことで、これからしばらくは本達の中を行ったり来たりしながら楽しみたいと思います。そのうちに英語教育のプログラムも見えて来るものがあるのではないかと期待しています。
 ところで、この英語教育のプログラム、つまり稲荷塾の英語クラスですが、3名の希望者がありましたが、3名ともお断りしました。というのは「数学がある程度のレベルに到達していて余裕がある」という基準を満たしていないと感じたからです。そもそも、こちらはまだノウハウすら確立されていないわけですから、どんな失敗が飛び出すか分からないのです。失敗しながら、「じゃあこうしようか、いや、ああしようか」と試行錯誤して行きたいので、英語の実力を伸ばしてくれ~と頼られても困るし、「きっと稲荷さんなら何とかしてくれる」と変な信頼をされても困るのです。
 ですから最初の1年ぐらいは、私と岡村さん2人でのんびりと習いながら、「これなら行ける!」というものを見つけ出したいと考えています。




親父達よ!どう思う?


 BMWに乗って古い友人が昨日遊びに来ました。その辺で見かけるような車ではなかったので、いくらしたのかと聞いてみると、何と1桁違う値段でした。へぇ~!
 この友人、東工の大学院を出てさらにアメリカに留学した経歴を持ち、かつては大きな組織に属していたけれども今は自分で小さなビジネスをしています。スモールビジネスを切り盛りしているという点でも私と似たような立場ですが、日本の国に対してかなりの危機意識をもっているというところでは完全に一致し、話は盛り上がりました。
 その中でひとつだけ、彼の発言を紹介しておきます。

 日本はユダヤに学ばなければならない。国がなくなっても、家庭の中でその言葉と伝統を守り続け、追われ追われしながら遂に2000年後に国を再建したんだ。どんな教育をしたんだと思う?

 う~ん … 。確かにこれは凄いことだ。結局、国を再生させることができるかどうかの鍵は家庭が握っており、そして家庭の責任は親父がもたねばならぬということか!



「2月特訓のレポート」その3


 前回、2月特訓がうまく機能するかどうかの目安を書きましたが、今年の参加者の状況を見てみると、「今、2月の約3分の1が終了した段階で、テキストの約3分の1が終了した」といのが先頭グループです。ということは、このペースで行くと「高校数学に入るためには、最低限テキストが終了することが必要だ」と書いていたその最低限をクリアできるかどうかというラインに落ち着くであろうという見込みになります。
 結局「十分に準備ができた」と「全く準備が整わなかった」の中間のグレーゾーンに漂うことになるのです。これは非常に悩ましい状況で、もし高校数学に入ってしまえば、この後1年間悪戦苦闘することになるだろうということになり、入らなければ、「トライしたけど入れなかった」とモチベーションを下げることになりかねないということです。
 このような場合、進退の判断は、その子の性格によって決定されることが多いのです。つまり、楽観的に物事を捉えるタイプなのか、慎重にことを運んで行くタイプなのかということです。
 いずれにせよ、参加者たちは「行をする」という感覚ではなく、知的好奇心によりわくわくしながら取り組んでほしいものだと願っています。






「2月特訓のレポート」その2


 「2月特訓のレポート」その1で、新中2生がこの特訓に参加する場合の、うまく行くかどうかの大まかな基準を書きました。
 今回は新中1生についての基準を書きたいと思います。
 まず、稲荷塾の中学数学のクラスで1年間をかけて中学数学を学ぶ方法を見ておきます。最初に彼らが中学数学のアウトラインを理解する必要があるので、簡単かつシンプルなプリントで中1の分、中2の分、中3の分をざっと勉強します。これが終わって全体像が見えて来たら、稲荷塾のテキストに入ります。
 中学数学は「代数」「幾何」「関数」の3つの分野に分かれていますが、公立中学ではそれぞれの分野を3分割して中1の分、中2の分、中3の分としており、各学年で3つの分野を並立して学ぶことになっています。それに対して稲荷塾のテキストでは各分野を分割するのをやめて、まず「代数」を勉強し、それが終われば「幾何」に進み、最後に「関数」をやるように組んであります。このテキストは51ページの問題集形式になっており、特徴は全体の流れが分かるようにできるだけ余分を省いてあるということと、基礎から確認できるようにしてはあるものの、相当に手強い問題まで収録されているというところです。
 このテキストが終わるということが中学数学のクラスの最低限の目標であり、これができれば何とか高校数学に入って行くことができます。しかし本当のことを言えば、さらにこの後テキストの復習プリントをして知識を定着させ、その上で高校の入試問題で演習をして、自在に中学数学を使いこなせるところまでもって行って完了するというのが理想的です。
 さて、それでは2月特訓では何をするのでしょうか。もし中学数学のクラスに1年間通ったとすれば、四十数回の授業に出たことになりますが、2月に週5回来たとしてもその半分ほどにしかなりません。ですから中学数学のクラスと同じように進めていては間に合わないので、いきなり稲荷塾のテキストをやります。それ以降の進め方と目標は中学数学のクラスと同じですが、このいきなり稲荷塾のテキストをやるというのが結構大変です。
 言うまでもなく、新中1生は算数が終わったばかりで、まだ中学数学に触れたことがありません。はたしてそのような彼らが2月の1ヶ月間で中学数学を仕上げて、高校数学に入るための準備をすることができるのでしょうか? 普通に考えると全然無理のように見えますが、実際にはこれをこなすことができるような一握りの生徒がいます。昨年トレーニングに参加した新中1生3人のうちの1人がそういう生徒でした。
 彼はテキストをあっという間に仕上げたと思えば、テキストの復習も一瞬で終わらせ、高校入試問題での演習に入りました。やった量も半端なものではありませんでした。堀川程度の問題なら余裕で合格点を取るようになりました。いるんです、こういう子が!
 結論を述べると、新中1生で2月特訓を十分にこなすことができるかどうかという基準は、灘中に受かるぐらいのレベルであるかどうかということになります。



今日は第4金曜日

西村コーチ

 今日は第4金曜日だったので、そうです。「ニッシーレッスン」に行って来ました。
 場所は長岡天神コートで、写真の通り、とても良いところです。夏にはクワガタが捕れるので、息子が小学生の間は、夜に仕事が終わってから脚立を持ってよく通いました。
 しかし今日は猛烈に寒く、途中吹雪になる時間帯もありました。レッスンもやはり厳しく、今はへとへとです。
 誤解のないように付け加えておきますと、上の写真は西村コーチです。(強いのになかなかのハンサム、憎いねぇ)

「2月特訓のレポート」その1


 大学受験を有利に進めるためには、高3になって受験勉強を始める前に入試で問われる知識と技術のイロハを身に付けておくことがとても大切です。もしこの準備をせずに高3を迎えてしまうと、ただでさえ忙しい高3の1年間が、非常に厳しいものになってしまいます。
 ですから、中高一貫校では高2の1年間で数III(現数IIIC)をしながら、数IIBまでの演習をすることになります。学校では潤沢に時間を使うことができるからです。しかし塾では、時間的制限と費用的な問題があって、これらを同時にこなすことが結構難しいのです。
 そういう事情もあって、稲荷塾では中2以前から高校数学を学び始め、高1以前に高校数学の一通りを学び終えるのが良いと主張しているのです。
 小学生部から在籍している生徒については、これがスムーズに行われますが、問題なのは新中2の段階で入塾して来る生徒です。当然ながらこの段階では中学数学が終わってはいませんので、どこかで無理をしないといけないということになります。
 この無理の仕方は2通りあり、ひとつは今この2月で特訓を行い、わずかな期間の中で中学数学を終わらせるという方法です。この方法がうまく行くのはある程度優秀な子で、中高一貫校、たとえば洛星の新中2の子ならば、ほぼ間違いなくOKです。一般の公立中学の新中2の子であれば、トップレベルの子でないと厳しいと言えます。
 もうひとつの方法は、中2では中学数学をし、中3で数IAに進み、高1で数IIBをするときに同時に数IIIをするという方法です。これは案外負担が軽く、ある程度まじめに取り組んでもらえれば、誰でもこなすことができると言うことができます。
 ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、今現在行っている「2月特訓」のレポートをしたいと考えています。
 これには新中2の子4人に加えて、意欲的な新中1の子が3人参加していますが、トップを走っているのは新中1の子です。この子はかなり有望です。新中2の子の中にも輝く子がいます。この子はスピードが足りず、おそらく自分が優秀であることを自覚していないと思いますが、うまく引っ張って行けば、相当に伸びるだろうと思います。
 トレーニングの内容や、去年トレーニングした子がその後どうなったのか等についてはまた次回書きたいと思います。
 






家訓


 私の家には先祖代々から伝わる家訓があります。それだけでも由緒正しき家系であるかのような感じがしますが、内容がちょっとかっこいいのです。

 男子たるもの

で始まるのですが、どうです? ちょっとかっこいいでしょう。続きを書くと、

 男子たるもの、髪の毛が耳にかかってはならぬ。

カクン。
 実はかっこ悪かったのです。じゃあ髪の毛が耳にかかってしまったらどうなるのでしょう。幼い頃、そのことを親父に尋ねたことがありました。親父は言下に、しかも威厳をもって言いました。
「病気になる」
お~恐ろしや!
 そういうことで私も一応、家訓を守っているのですが、今回は髪の毛が長くなり始めたのと忙しくなり始めた時期が一致してしまって、髪の毛が耳にかかってしまっています。だから今日こそは散髪屋さんに行こうと去日から決めていたのですが、あいにくの雨で、決意がぐらついています。


ほっと一息


 嵐のような先週が過ぎ去り、一息つくことができました。英語の勉強も再開し、今日はトレーニングにも行こうと思います。
 ところで、新しい生徒の保護者の中に「翻訳業」を仕事にされている方がおられ、思わず英語学習のアドバイスを求めましたが、その答えは意外なものでした。

 小さい頃から英会話などを始めなければならないというわけではない。むしろスポーツなどを通して自分を表現することの方が大切だ。

 要約するとこういう内容になりますが、どうでしょうか? 「英語」を職業にしている方の見解であるだけに重みがあり、考えさせられます。




「5.61 稲荷塾の「画期的カリキュラム」と英語学習との対比」


 ようやく「塾長奮闘記」を更新することができました。

「5.61 稲荷塾の「画期的カリキュラム」と英語学習との対比」
小学4年生のときに英検の2級をとったというような子が初めて入塾して来たのは2年前のことで、「えぇ~、すごいね!」と驚いたことを覚えている。英検2級と言えば高校卒業程度じゃないの?! … ところが去年にもやはり小学4年生のときに英検2級をとったという子が入塾して来ており、さらにこの子の妹は年長のときに2級をとったと言うではないか! 一体どうなっているのかと戸惑ったが、その後何人かの同じような例に出くわす中で、こういう話はそんなに珍しいことではなく、英語がある程度聴けて話せるならば案外簡単なことなのだということが分かって来た。しかし2級以上になって来るとこれはまた別の話で、社会経験の有無が大きな影響力をもつことになるのだそうだ。要するに国語力のレベルを超えてまでは外国語を修得することはできないということなのだろう。
 以上の英語の学習についての話は分野を変えて数学についても当てはまり、それがまさしく稲荷塾が主張するところとなっている。つまり、小学生のうちに中学数学を身に付けてしまうなどと言うと、そんなことができるのかと驚かれたり、あるいは、特別な才能をもった子だけを集めているのではないかと疑われたりするのが一般的な反応になってはいるが、学ぶ順序さえ間違わなければ、事実は案外簡単にこれができてしまうということなのだ。そのポイントは、国語力を必要とするような長くて複雑な文章題や特別な技術を使わないと解けないような問題はしないというところで、基本的な英語が聴けて話せれば英検2級がとれてしまうということと通じている。
 このことだけでも「画期的方法」だと主張するに足りる内容だと思うが、本当に画期的なのはその効果だ。たとえばA君が中学生のときに一生懸命高校受験の勉強をして、有名高校に入り、高校数学を勉強し始めたとしよう。また同じA君が小学生のときに中学受験の勉強をして中高一貫校に入学し、中3になったときに高校数学を勉強し始めたとしよう。さらにこのA君が小学生のときに稲荷塾で週1回1時間の勉強を経て、中1になったときに高校数学を勉強し始めたとしよう。これらの3つのケースにおけるA君の高校数学に対する理解度には差異を認めることができない。つまり、高校受験の勉強をしたことも中学受験の勉強をしたことも高校数学を学ぶ上でのアドバンテージにはなっていないということであり、年令もあまり関係がない。実際には、同じA君が3つのケースを体験するわけにはいかないので、似たような資質の子で比較することになるが、この2年間、稲荷塾の生徒たちを観察して来た結果により、これは疑いようのない事実だと断言できる。さらに追加して言及すれば、ちょうど基本的な英語が聴けて話せればその後の学習にストレスがなく、自然に英語の実力を伸ばして行くことができるのと同じように、数学の基本を先に入れてしまえば、それを深めて行くことが容易になるように思われる。
 そうすると中学受験の勉強とは何なのだろうか。これを英語学習にたとえるなら、英語を聴くことも話すこともできない子に難しい文法を叩き込んでいるようなものだと言えはしないだろうか。もちろんそのようなルートを辿って英語ができるようになった人もいるだろうが、究めて非効率的であることは言うまでもない。そしてこの非効率であることが、日本の大学を出ても英語が話せないという現状を生み出しているのだ。英語教育は絶対に変わらなければならないし、それも根本的な改革が必要だ。それと同様に「まず中学受験ありき」という考え方も変えなければならない。算数が中学数学になり高校数学に発展して行く中で、算数を理解するために用いられて来た論理が一般化され深められて行くわけであり、その全体像も分からない段階で算数にしか適用することができないような特殊な技術を叩き込んだとしても、それがその後の学習にプラスになるとは思われない。中学受験の勉強は数学を学んで行く上では全くの無駄だ。それにそれは、子供のもっと伸びて行ける筈の可能性を狭めることに他ならないということを知ってほしい。つまり中学受験をした場合、特に無理を通さない限り、高校数学に入れるのは最短コースを行ったとしても中2からであるのに対して、稲荷塾方式だと中2から高校数学に入れるのは当然で、上位3分の1程度は中1から高校数学に入ることができるし、さらに特に優秀な子であれば、小学6年生からでも小学5年生からでも高校数学に入ることができるということなのだ。
 ただしひとつ注意しておかなければならないのは、高校数学を早く始めればそれでいいというわけではないということだ。いくら早く始めても、その子の論理的な能力を超えてまでは数学の力を付けることはできないからだ。だからまずは、そのベースとなる論理的な能力を伸ばすということが大切な課題となり、そこには家庭での会話や読書、あるいは持って生まれた才能などが関係して来ることになるだろうが、これはまた別のテーマなので今回は触れないことにしておこう。
 課題は残るが、稲荷塾の主張が「画期的」であることには変わりはないだろう。この考え方が全国に普及することを願ってやまない。そうなれば、そのとき何かが起こりそうでわくわくさせられる。停滞日本を新生させるための起爆剤のひとつになるのではないかと私は本気で信じている。

 ということですので、読者の中に教育関係者の方がおられましたら、是非稲荷塾の方法を使ってみて下さい。不明な点があれば、私が知っている範囲はすべてお伝えしようと思います。
 また、「小さな数学塾のヒミツ」がもっと売れないといけないと思うのですが、そのためにはアマゾンのレビューがまだ少な過ぎるので、投稿をよろしくお願いします。







Congratulations Dr. F!


 「小さな数学塾のヒミツ」の中に出て来たFさんがドクターを取ったというニュースが届きました。イェー!

My doctoral thesis has been accepted!
博士論文、審査員の方々からOKをいただくことができました!

Title: Exploring the landscapes of habitable exoplanets via their disk-integrated colors and spectra: Indications for future direct imaging observations (長!)


 それでは、「小さな数学塾のヒミツ」から「頑張れFさん!」を紹介します。

「頑張れFさん!」
 少し前の話になるが、今年の2月の末、卒業生のFさんが遊びに来た。5年ぶりの再会だったが、彼女が大きく成長したことを感じることができ、とても楽しい一時を過ごすことができた。ただ、履いて来た革靴がすごく大人っぽいものだったので、「どうしたの?!」と多少違和感を感じた。だが、それについては母校の教育大学附属高校に英語での講演を依頼され、それをこなして来た帰りに寄ったのでそうなったと説明していた。子供っぽく見られるのが嫌だったらしい。
 彼女は現在、東大のマスター2年生で、専門は宇宙物理。系外惑星を研究している。系外というのは太陽系外という意味で、今ではもう沢山の惑星が発見されているそうだが、望遠鏡で見えるようなものではないので、見つけること自体が大変らしい。どんな方法を用いるのかを、2、3の例を上げながら熱心に話してくれたが、私にはちょっと難し過ぎた。それで、「系外惑星を見つけたとして、何の役に立つの?」と素朴な疑問をぶつけてみたところ、「単なる好奇心です」とさらっとやられてしまった。おおよそ学問とはそんなものかも知れない。… 彼女は教育大学附属高校2年生になる直前に入塾して来たが、そのときの印象が強烈で、思い出すことも多い。言うまでもなく附属は公立で、その時点で彼女は数IAまでしか学んでいなかった。当然のこととして数IIBの授業を受けるものだと思って話を進めていたら、突然彼女が言った。「私数IIICもとりたいんですけど。」「えっ … !? 」私はそれまでそんなことができるとは想像すらしたことがなかった。数IAと数IIBを同時進行させようとして失敗したことはあったが、数IIBと数IIICじゃそれよりずっと量が多いし、数IIICの前提として学んでおかなければならない数IIBの分野も多そうだし、はっきり言って発想外だった。だけど彼女は優秀だったし、熱心でもあったので、「しんどくなったらすぐに言いや。」ということで補習をしつつ数IIICを始めることにしたのだ。ところが拍子抜けするぐらいに簡単にこなして行くFさんを見ながら「何だ、こんな道があったのか!」と驚き、多くを気付かされることになった。数IAは高校数学の基礎理論で、数IIB、数IIICはその上に積み上げる技術だ。だから数IA、数IIB同時進行作戦はうまく行かなかったけれど、たとえ量は増えたとしても数IIB、数IIICなら同時に進めて行くことが可能だったのだ。これは何も彼女が特別によくできたからうまく行ったという訳ではない。その後稲荷塾ではよりスムーズに数IIICに入って行けるように補習のタイミング、その内容などを工夫して来たが、今では「誰でもこなせる」と断言できる。つまりこの画期的方法「数IIBを学ぶときに、同時に数IIICをやることで、高校に入ってから高校数学を学び始めた諸君が、中高一貫校の進度に追い付くことができるという方法」は研究者の卵Fさんの最初の発見だったのかもしれない。 … そのとき既に、常識に囚われないと言うか、柔軟な発想力を持っていたが、今はどこから見ても堂々とした研究者になっていた。
 さて話は変わって、大学院を選んだときのエピソードがとてもおもしろかったので載せておこう。元々は、アメリカの大学院に行きたかったということで、学部の3年生のとき、ハーバード、MIT(マサチューセッツ工科大学)を見学するツアーに参加したそうだ。この2校はどちらもトップ校のひとつで、このときは向こうの担当教官と直接話をすることができて、すごくいい経験だったと言う。だけど、ハーバードの教授が、彼女の専門分野で実績があるところとして東大を勧めてくれたのと、東大に入ったときに環境の変化に慣れるのに時間がかかったのを思い出して、迷いに迷った挙句、結局東大の大学院にしたらしい。ウ~ン、もったいない。行ってしまえば良かったのにと私は思った。
 ところで、アメリカの大学で有名なところはほとんどが私立で、学費が非常に高い。何年か前に聞いた話で、年間400万円ぐらいということだったから、今だと、それより下回ることはないだろう。だが、大学院から行く場合は全く別で、研究生として採用してくれるので、学費は要らない。それどころか、生活補助まで支給されるので、慎ましく生活していれば、何某かの貯金ができるぐらいだと彼女は言っていた。京大でもいろんなオファーが掲示されているのを目にしたが、そこまで優遇されているとは知らなかった。… 相当本気だったんだなあ … 。まあいずれにせよ、マスター卒業後はドクターに進むつもりだと意欲満々の彼女を見ながら、熱いエールを送りたい気持ちにさせられた。
 そのほかには、東大理II志望の高3の女の子の家庭教師をした話も驚かされる内容だった。数学を教えていたそうだが、私としては受験から何年か経ってしまえば、忘れることも多く、しんどかったんじゃないかと思った。ところが彼女の感想は全く逆だった。… 「その後のつながりが分かって来ると、何であのとき難しく感じたんだろうと不思議だった。今なら満点とは言えないけど、ほとんど解けますねえ」… そんなものか?! 完全にまいった。
 最後に、Fさんが大学に受かったときに書いてくれた体験記を付け加えておこう。

 文字通りアットホームで和やかなムードの中、授業を受けらられたのは幸せでした。私は何度も先生のギャグに失笑してしまいました。
 テキストには選りすぐりの問題が並んでいるので、予習ではうーんと唸ってしまう事も多かったのですが、授業での先生の導き方は非常に鮮やかで、よく感動しました。直感的な判断や目の付け所を指摘しつつ、様々な角度から問題を捉えて下さるので、一緒に考察していると自分の思考力も上がって行く感じがしました。本番でも塾でやったのと同じ考え方を要する問題が出て、すんなり解くことが出来ました。
 何より素敵なところは、もし授業中に分からないことがあっても気軽に質問ができ、また先生も懇切丁寧に分かるまで教えてくれるので、帰宅するときに、もやもやした気持ちを残すことがないことです。基本的な質問でもばっちり教えて下さいました。
 とにかく私は稲荷先生に指導して頂いて良かったと心底思います。本当に頼りになる先生です。

 基本的に宣伝用の文章を頼んでいるので、少し持ち上げぎみだが、優秀な生徒に良く評価してもらえて嬉しい限りだ。(2009年6月5日)


プロフィール

inarijuku

Author:inarijuku
稲荷塾について
東大・京大受験のための数学専門塾

著書:
稲荷の独習数学
教学社 




頭のいい子には中学受験をさせるな
メディアイランド




驚きの東大合格率
小さな数学塾のヒミツ
東洋出版

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