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謎の男;初田

 最近、関西大倉から京大に入ったドナルドや、100km マラソンに優勝した篠原の記事を書きましたが、彼らは同期生です。
 この同じ学年に初田というのがいました。今日は彼のことを書こうと思います。

 若い頃の私は融通が利かず、すぐに上とぶつかってしまうタイプでした(えっ、今も変わってないって?)。当時、私が勤めていた茨木市に本部を置く塾でも、上司のO氏と激しくぶつかり、高槻教室のオープンに合わせ、そちらに移動することになりました。
 その塾の高校生部には、私が入社したときに150人が在籍していましたが、次の年に300人になり、さらにその次の年には450人、そして700人という具合に日の出の勢いで成長を続けていました。そして遂に高槻市にも新教室を出すということになったのです。
 移動して来てみると、茨木教室で私のクラスにいた初田が一緒に高槻教室に移って来ていたのです。初田はいつもニコニコしてはいましたが、それ以上の感情を外に出すタイプではなかったし、自分の意見を主張するようなタイプでもなかったので、私としては
「俺のことが気に入っているのかなぁ?」
のように勝手に想像していました。
 そのとき彼らは高2になったばかりでしたが、化学を担当する講師がいなかったものですから、私が自ら勉強しつつ教えるということで、高2生のための化学のクラスを開くことになりました。
 このクラスをとった子は、京女の3、4人と初田だったのですが、ここに問題が生じました。
 何故って、化学は私よりも初田の方がよくできたからなのです!
 化学講師としては新米、かつ未熟ということで、必死で準備をして授業に出掛けたのですが、常に知らない物質が出て来たりして、
「本にはこう書いてあるから、覚えるしかないんじゃないか?」
というような苦しい説明をしていました。
 そんなとき、いつでも
「それは家にあって、何々をして遊んだことがあります」
というようなことを初田が言ったのです。
 確か初田のお父さんかおじいさんが、ハッタ消火器の発明者で家の中に実験室があると言っていたと思います。ですから、我々にとってはテストのために覚えるだけの無味乾燥の内容だとしても、彼にとっては、どれもこれも身近なものだったのです。もちろん化学の成績は洛星で1番でした。
 どうですか? こんな生徒がいたら困りますよねぇ!
 私は初田に、彼がいると授業がしにくいから化学のクラスをとるのをやめるようにと何度も言いました。しかし、
「いや、やめません」
とだけ、彼は言ったのです。
 そのとき高槻教室の教室長はY氏でしたが、彼とも私はけんかをして、翌年春にこの塾を退社して、予備校の講師になりました。つまり初田たちが高3になろうとしているときに、彼らを見捨てて自らの道を突き進んだのです …。
 高3になってから初田が文転したということを福田を通して聞きました。私は非常に驚きましたし、少し責任も感じました。しかしその後再び理系に戻り、山口大学?の医学部に受かったという話を聞いて、ほっとしたのを覚えています。
 ときは過ぎ、私が稲荷塾を立ち上げようと準備していたとき、T君(「やっぱり画期的『画期的カリキュラム』」に出て来た子で、東大理Iに進み、今はベネッセに勤めている)のお母さんが訪ねて来られて、初田のお母さんに紹介されたのだけれども見てくれないかという話になったのです。
 もうかなり昔の話なので記憶が曖昧ですが、初田の妹君とT君のお姉さんが同級とかだったかのつながりだったと思います。
 ちょうど、個別指導教室を拡大して塾にしようとしていたときだったので、T君が来てくれるだけでも非常に助かりましたし、さらにT君のお母さんが洛星の名簿をもって来て、「これで募集すればいいです」と言ってくれたことが、今日の稲荷塾の礎を築くきっかけになったと思います。
 そういう意味で、初田は私の恩人です!
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inarijuku

Author:inarijuku
稲荷塾について
東大・京大受験のための数学専門塾

著書:
稲荷の独習数学
教学社 




頭のいい子には中学受験をさせるな
メディアイランド




驚きの東大合格率
小さな数学塾のヒミツ
東洋出版

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